「もちろん売名だよ」俳優・杉良太郎の痛快すぎる福祉論
「ありがとう」すら面倒
――「福祉は一方通行」が持論です。 難しい。福祉は難しいよ。やっぱり相手がどう思うかだから。 災害でも何でも、苦しいのは当事者。経験していない人間が理解したつもりになっても、実際のところはわからないですから。 被災者の人たちと一緒に過ごす。ハンセン病の人たちと直接触れ合い、抱き合う。そういうことを何日も重ねていくうちに、段々と理解が深まっていった気がしますね。 この人、この地域のために貢献できたらいいな、少しでも役に立てばいいなと一方的に思うだけ。そこから何かをもらうとかじゃない。 「ちょっともうけさせてくださいよ」「何かおみやげないですか」なんていうのは論外だけど、私はもう「ありがとうございました」すら面倒くさいと思うね。 この人「ありがとうございました」って言うかな、とか面倒くさい。そんなこと考えてられないよ。
忘れられないスーツのシミ
――様々な施設を慰問されてきたなかで、特に印象に残っているのは。 最近になって思い出すのは、50年前に広島・長崎の病院を慰問した時のこと。戦争や原爆に対しては思いがあったから、被爆者の人たちに会った時は声も出なかった。 歌い終わった後に握手してほしいと手を差し出されて、その手が水ぶくれだった。握手したら、プチッと音がして中から汁が吹き出ました。 真っ白なスーツを着ていたんだけど、握手して抱き合っているうちに、うっすら黄色いシミがついた。まるで地図みたいにね。それを覚えてる。
背負った罪悪感
――忘れがたいですね。 問題はその後。私はトイレに行って手を洗って、服についたシミをハンカチで落としたんです。 誰かに見られたら何て言い訳をしよう。表面では善人ぶった顔で握手して抱き合って、陰では一生懸命、手も服も洗ってるじゃないか。 これは人には言えないなと思った。墓場まで持って行かないといけない。ものすごい罪悪感を背負っちゃったわけですね。 最初にこのことを打ち明けたのは、一緒に慰問に行った作家の川内康範先生。慰問から15年くらい経って、ふいに当時の話になりました。 川内先生から「良(りょう)には真実を話すけど、実はトイレで手を洗った。いまでも、ものすごく後悔してる」と言われた。 「初めて言うけど、自分もあの時手を洗ったんだ」と答えました。いまなら一生の宝としてこのスーツをとっておこうと思うけど、25歳の若造にはそこまで知恵が回らなかったね。 でも、50年前に行っておいてよかったな。行っているから、この話ができるんで。