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純粋なテレビマン坂井義則さんは「商業五輪」を強く批判した【東京五輪への鎮魂歌 消えたオリンピアン】

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日刊ゲンダイDIGITAL

【東京五輪への鎮魂歌 消えたオリンピアン】坂井義則さん(下)  フジテレビに入社した坂井は、37年間にわたり報道部とスポーツ部に在籍。現場でオリンピックも取材している。  パレスチナゲリラが選手村を襲いイスラエル選手11人を殺害した1972年ミュンヘン大会のときは、マイクを手に選手村に潜入取材を試みた。 「もう大ショックだった。平和の祭典であるオリンピックに政治が介入したことでね。早い話、オリンピックは政治に殺されたよね……。その後も同じ。76年のモントリオールのときは人種差別問題でアフリカ勢が参加をボイコットし、80年のモスクワの際はソ連(当時)のアフガンへの侵攻で、アメリカに従って日本も不参加。JОCも選手も政治家に逆らえず、翻弄された。今もオリンピックは政治に汚されているけどね」  坂井は私を前に強い口調で言った。さらに金儲けの商業主義に走るオリンピックを批判した。 「84年のロス大会後は、すべてお金絡み。テレビ局に信じられない高額で放映権を売るしね。アマチュアリズムも死んだ。64年東京オリンピックの最終聖火ランナーになった際、ぼくは金品類など何も頂かなかった。組織委員会から『頼むよ』のひと言で、日の丸の付いた白いランニングシャツとシューズを頂いただけ。でも今は選手もプロ化し、スター選手になり、外国のマラソン選手のエージェントが『坂井さん、いくら出す?』なんて言ってくる」 ■「仕事と名誉は別だ!」  日本陸連元職員の田中学が坂井について語る。 「たとえば、オリンピックイヤーになると各テレビ局は、開会式の最終聖火ランナーだった坂井さんの映像を何度も流す。だから私は『何で肖像権を行使しないんですか。お金を集め、チャリティーで何かできますよ』なんて言うと、坂井さんは『仕事と名誉は別だ!』と怒る。欲のない純真な人でした」  東京オリンピックから50年目の2014年3月28日未明。脳内出血で倒れた坂井は、都下の武蔵野市の病院に入院した。駆けつけた早稲田大時代からの親友、元毎日新聞記者の平田毅は言った。 「義則は毎日、血圧を測ったり、人一倍健康に気をつけていたけどね。入院当初は意識はあったんだが、そのうち面会謝絶になった。義則は孫と一緒に20年オリンピックを見たいと言ってたよね」  入院から間もなくだ。東京・新宿の坂井の行きつけのアスリートが集う居酒屋「酒寮 大小原」(すでに閉店)の店主の大小原貞夫が病院に出向いたが面会謝絶。それでも「俺は家族よりも付き合いが古いんだ!」と看護師と医師を振り切り、病室に入った。  昏睡状態の坂井の顔を見るなり、大声で叫んだ。 「坂井さん、何でこんなところで寝てんだ。この酔っぱらい。起きろ、起きろ、起きろ!」  それに呼応するかのように、坂井の手足が動いた。  大小原は再び叫んだ。 「坂井さん、聖火台はもうすぐだ。ガンバレ!」  大小原は見た。病床の坂井がトーチを手に聖火台を目指す姿を……。  それから半年後の9月10日。坂井義則は眠るように逝った。戒名は「聖則院昭友日義居士」――。 ▽さかい・よしのり(東京オリンピック、最終聖火ランナー) 1945年広島県生まれ。66年アジア大会陸上400メートル銀メダル、1600メートルリレー金メダル。68年フジテレビに入社し、報道部とスポーツ部に37年在籍。主にスポーツ番組を手がける。 (岡邦行/ルポライター)

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