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日本サッカー界 歴史的ゴールの裏にあったヒデと野人の「秘話」

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FRIDAY

新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、中断していたサッカーJリーグが6月27日、約4カ月ぶりに再開。開幕となったJ3は鳥取がC大阪U23を1―0で下し、白星でスタートした。5日に本拠地初戦を迎えるJ3鳥取の代表取締役GMをつとめる岡野雅行は、自らのゴールで日本サッカー界の歴史を変えた「あの時」から通じるある思いを改めて胸に刻んでいた。 【画像】手越祐也 渋谷のラブホから朝帰りなどの「破天荒」写真連発! ◆23年前も命がけで戦った 「今季はこのまま試合ができないのではないか、と考える人もいたぐらいでしたから、試合ができたこと自体、うれしかったです。両チームの選手の球際が激しくて、『試合がしたかったんだな』ということが伝わってきた。なかなか点が入らない展開の中で、コーナーキックから1点をとれた。一つのチャンスを狙いに行く集中力がすごかったし、1-0で勝てるチームは強い。地元鳥取のサポーター、スポンサー企業の方もきっと喜んでくれていると思います」 会場の大阪・ヤンマースタジアム長居には行かず、都内でリモート観戦した岡野GMは、幸先のいいスタートに胸をなでおろした。 「2月以降、鳥取には戻れていません。クラブの職員や選手と直接会って話をしたいこともありましたが、僕は選手を守らなければいけない立場なので、移動したことが感染につながって、試合ができなくなることは絶対に起きてはならない。その分、リモートでクラブの人と日々やりとりをしてきました。  ずっと言い続けたのは『謙虚な気持ちでやり続けよう、できることに感謝しよう』ということ。新型コロナによって試合ができること、お客さんに来ていただけること、仕事をすること、すべてが当たり前ではなくなりました。だからやれることに感謝しないと。でもそう言い続けたのは、今回つらい経験をしているから、というだけでなくて、今まで起きてきたことがすべてつながっているからなんです」 そう明確に考えられるようになったのは1997年11月16日、岡野がワールドカップ(W杯)最終予選・第3代表決定戦で、日本代表をW杯切符に導く決勝ゴールをあげてから15年ぐらい経過した頃のことだった。 「小学校にあがる前の娘に歴史図鑑を買ったんです。娘は『パパが図鑑に出ている』って驚きましたね。(1995年に発生した)地下鉄サリン事件の後にジョホールバルの歓喜の話が1ページが割かれていた。その時、娘には『違うよ、パパじゃなくてクロマニョン人だよ』と冗談を言いましたけど(笑)、1ページ割いてもらった意味を改めて感じて、この意味を伝えていかなければいけないと考えるようになりました。あのゴールの後、帰国すると『久々にいいニュースが飛び込んできました』と周囲の方に感謝してもらったんです」 ジョホールバルの歓喜の2年前、1995年にオウム真理教による地下鉄サリン事件がおき、1997年2月には「酒鬼薔薇聖斗」を名乗る中学生による神戸児童連続殺人事件が発生。暗いニュースに覆われていた時代だったからこそ、明るいニュースのインパクトは絶大だった。 「あの時の日本代表はW杯予選全試合が土俵際で紙一重の試合ばかりでした。勝てなかった試合では全員が号泣したりしていた。胃薬を抱えながら試合に出ていた選手もいたんです。今では6大会連続で出場し、出場することが当たり前になっていますが、当時はW杯に出場するために、本当に選手も協会の人も命がけで戦っていたんです」

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