インドで「最下層カースト」を排せつ物処理から解放する“トイレ清掃ロボット”が誕生【2020年ベスト記事】
――― 2020年、クーリエ・ジャポンで反響の大きかったベスト記事をご紹介していきます。8月10日掲載〈インドで「最下層カースト」を排せつ物処理から解放する“トイレ清掃ロボット”が誕生〉をご覧ください。 ――― インドではカーストに属さず最下位にあるとみなされる「ダリット」が、いまだに防護具も身に着けない危険な状態で下水管の清掃作業を強いられている。こうした状況を改善しようと、インド南部の若者たちがスタートアップを立ち上げ、「トイレ清掃ロボット」を開発。『13億人のトイレ 下から見た経済大国インド』を上梓した佐藤大介氏が、インドの知られざるトイレ事情を解説する。 【画像ギャラリー】変わりゆくインドのトイレ事情
トイレ清掃ロボットを開発する
ニューデリー市内にあるホテルでの待ち合わせ時間は夕方だったが、もう夜になっていた。インドではたとえ仕事でアポを取り付けても、遅刻やドタキャンは日常茶飯事だ。 「渋滞で車が先に進まない」「急に予定が入った」「雨が降っている」「忘れていた」──。言い訳はさまざまだが、あまり悪いと思っていない点では共通している。 だが、この日に会う約束をしていたアルン・ジョージ(25)は違っていた。ビジネスパートナーとの打ち合わせが長引いているとして、時間のめどがつく度に何度も携帯電話にメッセージを送ってくる。小さなホテルのフロント前でジョージに会うと、笑顔で握手を求めてきた。 ジョージは2017年にスタートアップ企業「ゲンロボティクス」(Genrobotics)を立ち上げた一人だ。ニューデリーから飛行機で約三時間、南インドのケララ州トリバンドラム(ティルヴァナンタプラム)に拠点を置くゲンロボティクス社は、下水管を清掃するロボットの開発を行っている。 「バンディクート」と名付けられた清掃ロボットには、四本の脚のほか、触手のような複数のアームがある。アームの先には特殊なシャベルや容器が取り付けられ、下水管の中で詰まりを解消し、汚物を回収する作業を行う。操作は地上で行うことから、作業員が下水管の中に入って危険な作業を行う必要はなくなるというわけだ。 「バンディクート」とは、体長30センチほどの、ネズミやウサギに似た姿をした小動物を本来は意味している。 「マンホールを開けると、下水道にはネズミが走り回っているじゃないですか。そのように、下水管の中を自由自在に行き来できるイメージの名前にしたのです」 ジョージは、バンディクートという可愛らしい名前の由来を、やや照れくさそうに語った。しかし、起業してトイレ清掃のロボットを開発しようと考えた動機を尋ねると、笑顔が真剣な表情に変わった。 ゲンロボティクス社の創業メンバーは、ジョージを含めて四人。ケララ州の大学で機械工学を学んでいた仲間だ。学生時代から起業に関心があり、四人でアイデアを出し合ってはオリジナルのロボットを製作し、コンテストに応募するなどしていたという。清掃ロボットの製作を始めることになったのは、大学卒業を控えた2016年のある日、ジョージがケララ州内で起きた事故のニュースを見たのがきっかけだった。 「下水管の清掃をしていた作業員三人が、有毒ガスを吸い込んで死亡したのです。テレビのニュースにはその現場が映し出されていましたが、とても狭くて危険な場所でした。三人はそこに手袋やマスクもせず入っていったのです。いまだにこんな作業が行われていることに衝撃を覚え、自分たちの技術をこうした現場に生かすことができないかと考え、すぐに仲間に相談をしました」 インドで下水管の清掃労働者が作業中に事故死するケースが相次いでおり、十分な装備や安全対策がなされていない現状については、先に触れた。清掃労働者の大部分はカースト制度で最下層とされているダリットたちで、危険な作業に従事する背景に根強い差別意識があることも、これまで述べてきたとおりだ。ジョージや友人たちのカーストはダリットではなく、これまで差別や清掃労働者の問題について深く考えたこともなかったという。 だが、それは差別や劣悪な労働環境という問題に、先入観を持たずに向き合えるということでもあった。 ジョージがすぐに三人の仲間と連絡をとり、自らの問題意識を伝えたところ、すぐに賛同を得られた。 清掃労働者の代わりにマンホールへ入り、下水管の詰まりを取り除くロボットはどうデザインしたらいいのか。四人はアイデアを出そうと考えあぐねる中で、以前に作製したロボットを思い出した。世界的にヒットしたジェームズ・キャメロン監督のSF映画『アバター』を四人で見た後、触発されて四本の脚と二つのアームを持ち、本体の操縦席に人間が座って動かすロボットをつくっていたのだ。 「あのロボットを発展させれば、マンホールの中に手を伸ばして汚れを取り除くことも可能になる。そうすれば、危険な清掃作業を人間が行うという時代遅れのやり方に、終止符を打つことができると考えたのです」 大学を卒業した四人はゲンロボティクス社を立ち上げ、清掃ロボットの開発に乗り出した。スタートアップに関するさまざまなイベントに参加し、投資家たちにアイデアを説いて回った。だが、最も関心を示したのはケララ州政府だった。清掃労働者たちの労働環境を改善できるという説明に注目し、開発の支援を約束したのだった。