Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

グラウンドが家!本田裕一郎氏は73歳新天地で元気

配信

日刊スポーツ

みなぎる情熱は新天地でも健在だ。新型コロナウイルスの感染拡大による約2カ月半の部活動休止期間が終わり、気づけば初夏の日差しがまぶしくなった。 【写真】19年12月、大敗して天を仰ぐ流通経大柏の本田裕一郎監督 高校サッカー界の名将、本田裕一郎氏(73)が新たに立つのは、東京・国士舘のグラウンド。3月末で流通経大柏の監督も正式に退任し、同校サッカー部のテクニカルアドバイザーとして、新たな1歩を踏み出した。 コロナ禍に見舞われたリスタート。「出ばなをくじかれたね」と苦笑いするが、久しぶりに顔を合わせた部員らと元気に練習を進める姿は何も変わらない。 6月16日。休止明け初の練習は約40分ほどで終わった。同校は電車通学している生徒が大半で、ラッシュ時の車内混雑による感染リスクを避けるために学校の方針で生徒は午後4時45分までに下校させなければならない。 授業が終わるのは3時半ごろで、練習前後の準備も含めると、グラウンドに立つ時間は1時間もとれないことになる。加えて約200人を抱える大所帯。感染拡大を防ぐため、初回練習に参加できたのは3年生の約半分となる33人のみ。グラウンドはサッカーコート1面のみで、再開後、約1週間ほどは3学年で計6つに分けたチームが毎日交代で使用する日々を送った。 状況は徐々に緩和されつつあるが「仕方ないよね。自分も含めて感染しないように気をつけながらやるしかない」と割り切っている。 休止期間中も前向きに過ごした。「今まで、じっとしていることがなかったから。どうしていいかわからなかった」と笑うが、すぐに切り替えた。 もともと「大好き」と語る映画鑑賞や読書に時間を割く一方で、今までやっていなかった散歩に出たり、普段あまり会えていなかった知人に連絡をとったりもした。「動きたくても動けない制約の中で、普段できないことができた。ある意味で良かったことでもあったと言える。でも、この歳になると少し体を動かしていないとすぐに油が切れちゃうことに気がついたよね」。やはりグラウンドが自身の「家」だと再確認した。 国士舘での役割も理解している。託されたのは指導者、選手両面の育成。コーチを経て就任した上野晃慈監督(40)をサポートしながら、試合や練習での指導をけん引する。 流通経大柏時代に自費で購入した選手につけるGPS装置などもそのまま持ち込んだ。上野監督は「勉強になる部分は多いです。練習のスピード感や切り替えも早い。生徒の姿勢も変わりました」と効果を口にする。 本田氏も「私のミッションはチームを強くして上野監督を早く胴上げすること。生徒も吸収力があってしっかりしてますよ。格上でも戦術次第でたたくことができる。その楽しさを教えないといけない」と力を込めた。 国士舘は全国高校サッカー選手権に過去4度出場しているが、初戦突破は1度もなく、全国の壁に苦しんできた。タレントぞろいの流通経大柏の選手たちにも常に初戦の難しさを説いていた指揮官にかかる期待は大きい。 75年に市原緑でサッカー部監督に就任して以来、習志野、流通経大柏と渡り歩き、3校全てを全国大会出場に導いた。 習志野、流通経大柏では日本一も経験。16年にはステージ4の大腸がんを患いながらも復帰し、17年の全国高校総体を制覇。18年度までは2年連続で全国高校サッカー選手権準優勝も果たした。 初めて千葉県外に出た名将は、73歳を迎えた令和の時代も前だけを見据えている。「今まで何回優勝したとか覚えてないし、あんまり過去も振り返ったりしないんだよね。まだ引退も全然考えてないですよ」。 本来であれば、この時期は毎年恒例となっているドイツなどへの海外視察に出かけているはずだった。今でも日本全国へ自ら足を運んで中学生のスカウトにも精を出す。「自分の目で見て何を感じたかを大事にしたい」と研究意欲は尽きない。 関東大会予選や全国高校総体予選もなくなり、所属する東京都リーグの開幕も延期。公式戦開催は早くても秋以降だという。 本田氏の限界を決めずに進む姿勢は、国士舘のチーム理念「継続は力なり」に通じる部分もあるはずだ。「ここに合ったことをやっていきますよ。今の東京には常勝軍団がない。やりがいはあると思っています」。コロナ禍の中で静かに始まった東京での新生活。大都会に舞台を移した名将の物語は、まだまだ終わりそうにない。【松尾幸之介】 ◆松尾幸之介(まつお・こうのすけ) 1992年(平4)5月14日、大分県大分市生まれ。中学、高校はサッカー部。中学時は陸上部の活動も行い、中学3年時に全国都道府県対抗男子駅伝競走大会やジュニアオリンピック男子800メートルなどに出場。趣味は温泉めぐりとマラソン。

【関連記事】