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しまおまほ、「家」を語る。「私を作った豪徳寺のアパート、変わらない世田谷の実家……」

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文春オンライン

「自分」をモチーフにした、初の本格長編恋愛小説『 スーベニア 』を上梓したばかりのしまおまほさんが、自己形成に影響を及ぼした家のこと、小説『死の棘』で知られる祖父・島尾敏雄とその妻ミホの死、家族の話……を語ります。 【写真】この記事の写真を見る(10枚) ◆ ◆ ◆  実家の景色はほとんど変わりません。テレビが薄型になったくらい(笑)。  母が一人暮らししていた御茶ノ水のマンションに父が転がり込んで、その3カ月後に妊娠がわかり、入籍の4日後の1978年10月14日に私が生まれました。 〈両親は写真家で、父方の祖父は『死の棘』で知られる作家の島尾敏雄というしまおまほさんは、執筆活動のみならず、ラジオの世界でも活躍している。〉

私を作った場所、豪徳寺の「旧尾崎邸」

 私が生後2カ月のときに世田谷区豪徳寺のアパートの2階に引っ越して、8畳1間に親子3人で暮らすことになりました。政治家の尾崎行雄が住んでいた渋谷の洋館を移築した「旧尾崎邸」と呼ばれるアパートで、今まで住んできた家の中で一番印象深く、「私を作った場所」だと思います。  高い天井はペンキが所々剥げていて、大きな窓にはカーテンの代わりに父がアメリカンスクールのバザーで買ってきた巨大な世界地図を掛けていました。テレビがなかったので、廊下の窓から隣家のテレビを双眼鏡で眺めていました。  部屋にはガス台のみ。炊事場も洗面台もなかったので、水を使うときは1階にある共同の水場に行かないといけませんでした。もちろん風呂なしで、トイレも1階に共同のものがあるだけです。  当時の父は、お酒を飲んでよく吐いていたんですが、1階のトイレに行くのが間に合わないから洗面器を抱えて吐くんです。用を足すのも私の「おまる」でしていました。  私の服はバザーで買ったものか、お下がり、あとは祖父のステテコ(笑)。髪形は前髪ぱっつんの坊ちゃん刈りで、小学校に上がってもしばらくは父に散髪されていました。  幼稚園は、室内に温水プールがある世田谷線上町駅の青葉学園。近くのモダンバレエ教室にも通い、小3まで続けました。

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