移籍話まさかの破談「そんなの言った?」 “ちゃぶ台返し”で2年無所属…元J選手のアジア挑戦【インタビュー】
一筋縄ではいかないアジアの海外移籍
「アジアでの海外移籍に関しては、きっちり話が進むケースは稀だと思います。調整した内容も『そんなの言ったっけ?』みたいな返答をされる場面が結構ありましたね」 代理人が尽力するも、アジアの新天地探しが難航し続けた理由を前田はこう語る。チーム強化にあたり現場とフロントの認識不一致やコミュニケーション不足は往々にしてあるようで、“ちゃぶ台返し”のような目に遭わされたこともあった。 「一度、シンガポールのチームに契約締結を前提に練習参加したことがありました。10日ほどチームとトレーニングし監督やコーチから評価してもらい好感触を得ていたのですが、移籍が決まる直前でオーナーからストップがかかったんです」 練習参加さえ叶わなかったケースも、一度や二度ではない。日本でプロだった10年のうちに蓄えた貯金を切り崩しつつ、ジムで身体を動かし公園で1人ボールを蹴る。そうやって移籍話を待つほかなかった。 岩波拓也や藤本憲明といった元チームメイトに加え友人が「(新しいチームは)どうなった?」と気にかけてくれるも、良い報告ができない。心苦しさが募り、人と直接会いづらくなった。そんな状況でも、実家でともに暮らす両親は決まらない去就に気を揉みつつも、普段どおりに接し我が子を支えた。 そんな状況が2年目に突入すれば、さすがにメンタルは限界を迎え、日本での所属先探しに気持ちは切り替わらなかったのか。 「諦めようとはならなかったですね。とういうのも、海外の話を聞けば聞くほど新しいチャレンジへの思いが強くなったので。サッカー選手として悔いは残したくない。そうした思いが強くありました」
「今は本当にサッカーができる幸せを噛みしめています」
チームが決まらなければ、もうサッカーを辞めよう……。そんな考えが頭をよぎり始めた今年9月、ついに運命が微笑む。ラオス1部ヤングエレファンツFCが前田の獲得に興味を示した。 「代理人から話をもらった時、僕には行先を選ぶ権利なんかないと思ったの2つ返事でオファーを快諾しました。アジアの大会に出場すると聞いていましたから、エレファンツに行くのは面白そうだなという気がしました」 この時も最初のステップはチームへの練習参加。「これってシンガポールの時と同じパターンちゃうん?」。苦い記憶がフラッシュバックした。それでも9月18日に現地へ渡りトレーニングが3日目を終えた頃、無事にオーナーを交えチームとの契約を締結。長い空白期間に終止符が打たれた。 シーズンはすでに始まっていたものの、外国人選手の登録枠が埋まっていたためリーグ戦には出られず。年明け1月から始まる後期日程での出場を目指すもどかしい状態だが、気持ちは晴れやかだ。 「今は本当にサッカーができる幸せを噛みしめています。守備的MFですが、助っ人としてここにいるわけなので数字に残る得点やアシストを求められていますし、後期のリーグ戦で結果を残してステップアップできるよう頑張りたいと思います」 アジアを舞台に紡ぐ新たなサッカー人生。ここからは、蓄えたエネルギーを全力でぶつけ突き進んでいくだけだ。 [プロフィール] 前田凌佑(まえだ・りょうすけ)/1994年4月27日生まれ、兵庫県姫路市出身。ヴィッセル神戸Jrユース-ヴィッセル神戸U-18-ヴィッセル神戸-大分トリニータ-愛媛FC。アンダー世代(U-15、17)では日本代表も経験。ボランチを主戦場とし、積極手にボールに絡んで攻撃を組み立てるプレーを持ち味としている。
FOOTBALL ZONE編集部・山内亮治 / Ryoji Yamauchi