石川雄洋「心は折れていない」 DeNA初代キャプテンの次なる舞台
16年間在籍した球団を離れ、現役続行を希望する。横浜・DeNAで愛された男は完全燃焼できる場所を求め、決意をあらたにする。 取材・文=平尾 類(インプレッション) 写真=BBM
中畑氏からのメッセージ
石川雄洋がDeNAを今季限りで退団し、現役続行を決断した2週間後。ある動画を見る。テレビ東京がYouTubeで配信している映像で、元DeNA監督の中畑清氏が石川について熱く語っていた。 「戦う魂はすごい強いものを持っている。監督と選手としてぶつかったときもあるけど、ぶつかるぐらいチームを思っている男だから。チャンスがあるんだったらユニフォームを着てもらいたいと思うし、中途半端に終わらせたくないなというのは俺の中にある」 動画を見た石川は涙をこらえるのに必死だったという。 「ありがたかったです。中畑さんはチームを、僕を変えてくれた方だと思っている。何度も衝突したし、本気で怒ってくれた」 横浜高で3年間を過ごし、横浜(現DeNA)にドラフト6位で入団して16年。気づけば生え抜きで最年長になっていた。最近5年間はAクラス3度と優勝を狙えるチームに成長したが、石川がレギュラーに定着した2008年からは5年連続最下位、8年連続Bクラスと低迷期だった。若手のときは試合に出るのに必死だったが、チームがなかなか勝てない。聞くに堪えないヤジをスタンドから毎日のように浴びせられる。「悔しかったですよ。試合中も試合後も『どうやれば勝てるんだろう』とずっと考えていたけどうまくいかなくて。ファンの方たちには申し訳ない思いをさせてしまった」と振り返る。 派手な外見で誤解されるが、石川は周囲が認める根性と試合への執着心があった。10年8月に左手小指を骨折した際、バッティンググラブの小指の部分をハサミで切って患部を添え木で結び、痛み止めの座薬を使って出場し続けた。12年8月にも犠打を試みた際に投球が左手小指に直撃して骨折。痛みで意識が遠のきそうになったが、手袋が血染めのまま打席に立って犠打を決めている。このときは1カ月も経たず違う個所を再び骨折する。内角の球をバットのグリップに当ててファウルにしようとしたが、右手の甲に当たって骨折。だが、心は折れない。「根性です」とその打席でヤクルト・山本哲哉から中前打を放った。 突き動かすのは危機感だ。若手のとき、二遊間を守る石井琢朗、仁志敏久、同期入団の藤田一也(現楽天)たちの高度な技術に愕然(がくぜん)とする。「すごい選手ばかりでしたから。僕はセンスがあるタイプでない。試合に出ない間にほかの選手にとって代わられるのが怖いんです」。10年に打率.294、リーグ2位の36盗塁をマーク。だが、満足感はない。自身が活躍すればいいという時期は過ぎ、勝利を渇望していた。