父の願いは「早く結婚して家を継いでほしい」だった…ソフトボール界初の女性監督に挑んだ宇津木妙子の決意と父の涙
1部リーグ優勝を果たした後で聞いたことですが、私が監督に就任することに対して、工場内の大多数が認めていなかったそうです。しかし、当時の工場長だけが私を信じ、「宇津木さんにかけてみよう」とみんなを説得してくれたと聞きました。 ── 工場長からの信頼があったからこそ、宇津木さんらしい指導ができたのかもしれませんね。 宇津木さん:監督を引き受けるとき「練習についてはすべて私に任せてほしい」と伝えたのですが、それを承諾してくれたのも工場長が期待をかけてくれていたからだと思います。
今、女性リーダーがどんどん進出していますが、「女だから頑張らなきゃ」と背伸びしている人もすごく多いと感じています。しかし、「男だから」とか「女だから」というのは関係なしに頑張ればいいんです。一生懸命に頑張っていれば、誰かが認めてくれる。大勢の賛同を得られなくても、1人でも信じて認めてくれれば、それが原動力になるんだと、この経験からも実感することができたと思っています。 PROFILE 宇津木妙子さん
うつぎ・たえこ。1953年、埼玉県で生まれる。1972年に日本リーグ1部のユニチカ垂井に入団後、日本代表選手として世界選手権に出場。1985年に現役を引退。ジュニア日本代表コーチを経て、実業団チーム・日立高崎の監督に就任し、1部リーグ優勝チームへと育てる。その後、日本代表監督に抜擢され、2000年のシドニー五輪では銀メダル、2004年アテネ五輪で銅メダルを獲得。2004年には、日本人では初めて国際ソフトボール連盟に指導者として殿堂入りを果たす。現在もソフトボール界の普及活動に尽力している。 取材・文/佐藤有香 写真提供/宇津木妙子
佐藤有香