父の願いは「早く結婚して家を継いでほしい」だった…ソフトボール界初の女性監督に挑んだ宇津木妙子の決意と父の涙
── どなたかに相談したのですか? 宇津木さん:正月に実家に帰り、父に相談しました。父と向かい合って真剣に話したのは、高校卒業後、ユニチカの実業団チームに入団したとき以来。父は、5人兄弟の末っ子である私に対して、しょっちゅう「早く結婚して家を継いでほしい」と言っていたので、今後についての意見を伺うことにしたんです。 話し合いの中で、私が現役時代に苦労したことや、悔しい思いをしたことも話しました。すると父は、涙を流しながら私の話を聞いてくれて、「監督になったなら、リーダーと同時に裏方にも徹しなければいけないよ。ソフトボールのスキルを育てるだけではなく、会社の代表として『人となり』も教育しなければ、世間は認めてくれないだろう」と話してくれました。
父の言葉を受けて「『強くて愛されるチーム』という理念のもと、選手を生かしながら、一人ひとりと向き合って、平等で公平なチームを作っていきたい」と決意。父からは「それなら3年間頑張ってみろ。それで結果が出なければ辞めなさい」と言われました。 ── お父さんの言葉が、宇津木さんの背中を押してくれたのですね。 宇津木さん:そうですね。父の言葉を受けて、年明けに工場長に「監督を引き受けたい」と返事をしに行きました。
■「男だから」とか「女だから」というのは関係ない ── 監督就任後は、どのような指導をされたのですか? 宇津木さん:まずは私自身を知ってもらうことから始めました。現役時代の失敗談を話し、「努力のうえに今がある」ということを伝えました。その後、選手一人ひとりの個人カードを作成。家族構成からチャンスに強いか弱いか、叱って伸びるか否かまで細かく記載し、選手にあった指導方法を検討し、実践していったんです。 ── 日本ソフトボール界では、初めての女性監督となりました。当時、大変だったことを教えてください。
宇津木さん:女性指導者として、同じ立場で相談できる相手や、比較できる相手がいなかったので、むしろ自由に指導できたと思っています。他チームに合宿をお願いして「3部チームとはできない」と断られたり、「女性監督」ということで差別的な意見を向けられることもありましたが、「任せていただいた以上は、覚悟を決めて責任を取らなければ」という気持ちで向き合いました。選手たちが頑張ってくれたおかげで、順調にチームを強く育てられたと感じています。