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生誕から移籍先まで キング・カズは「港町」に深い縁がある【六川亨のフットボール縦横無尽】

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日刊ゲンダイDIGITAL

【六川亨のフットボール縦横無尽】キング・カズ編  J1横浜FC所属の三浦知良(53)が、キラキラと光り輝く金字塔を打ち建てた。9月24日の川崎F戦にスタメン出場したキング・カズは、J3沼津の中山雅史が札幌在籍中の<45歳2カ月1日(2012年11月24日)>に達成したJ1最年長出場記録を<53歳6カ月28日>で更新。8年以上も大幅に塗り替えたのである。元サッカーダイジェスト編集長の六川亨氏が、日本サッカーのレジェンドであるキング・カズの珠玉のエピソードを全3回に渡って公開する。   ◇  ◇  ◇ ■<キング>をネット検索すると最初に出てくるのは? <キング>をインターネットで検索する。最初に目に飛び込んでくるのは「焼き肉きんぐ」(自宅近くにも開店した)はさて置き、ウィキペディアで調べると歌手のキャロル・キングやB・Bキングらとともにスポーツ選手では<三浦知良>の名前が、しっかりと紹介されている。  ちなみに24日はアウェーの川崎F戦だった。試合会場の等々力陸上競技といえば、かつてカズが所属したヴェルディ川崎(東京ヴェルディ)のホームグラウンドだ。1993年のJリーグ開幕以来、数々のゴールを決めてきた思い出のピッチでキャプテンマークを左腕に巻き、日本サッカーを牽引してきた中村俊輔(42)、松井大輔(39)を率いて登場したカズ。下平監督も随分と粋な計らいをしたものだ。  残念ながらジーコの<41歳3カ月12日>のJ1リーグ最年長ゴール記録を更新することはできなかったが、可能性は十分に残っているだけに今シーズンのカズから目を離すことはできない。  そんなカズが、現所属の横浜FCに加入したのは、いまからもう15年も前の2005年7月だった。シーズン中での移籍だったが、当時の横浜FCはJ2だったので驚きを持って迎えられた。  7月21日、東京プリンスホテルで行われた移籍会見でのカズは笑顔を絶やさず、自身のサッカー人生と<港町>との繋がりの深さを語った。 ■ビーチリゾートとしても有名なサントス  カズが静岡学園高を1年で中退して単身ブラジルに渡ったのは1982年のこと。その4年後、初めてプロ契約を結んだクラブが、かつてサッカーの王様・ペレが長らくプレーしたサントスだった。サンパウロの南60キロほどのところにある港町のサントスは、ビーチリゾートとしても有名である。  ここでサッカー選手としてプロのキャリアをスタートさせたカズは、1990年7月に(当時JSLの)読売クラブに加入。その後はイタリアのジェノバに移籍して日本人セリエA初ゴールを決めた(キンゼ・デ・ジャウー時代にもブラジルリーグ日本人初ゴールを記録している)。クロアチアのザグレブ、京都、神戸と渡り歩いて横浜FCにたどり着いた。  ザグレブを除けばカズがプレーしたクラブは、いずれも港町のある都市だった。2005年11月に移籍して日本人初のクラブW杯出場選手となったシドニーFCも、オペラハウスのあるポート・ジャクソン湾が有名だ。  もちろん、カズ自身は<港町>を意識して移籍したのではないだろうが、生まれ育った静岡・城内地区は清水港とも近いだけに<何らかの縁>で結ばれているのかもしれない。  そんなカズは、会えば昔から「六さん」と気さくに声を掛けてくれる。しかしながら、いつから親しくなったのか(カズには失礼な話だが……)まったく記憶にない。  カズの2歳上の兄・三浦泰年氏は静岡学園高のキャプテンだったが、残念ながらライバルの清水東高(長谷川健太、大榎克己、堀池巧の清水三羽ガラスがいた時代)に敗れて高校サッカー選手権には出場できず、高校卒業後に弟の後を追ってブラジルへと渡った。  同時期、たまたま取材した無名のサッカー青年が、ブラジルでプロ選手になることを夢見て都立高を卒業して海を渡った。  その彼を加えた3人はサントスで共同生活を送ることになるのだが、サッカー専門誌の記者だった筆者は、泰年氏に頼まれて日本の文庫本や芸能雑誌などをまとめて船便で送った記憶がある。海外での生活で日本語に飢えていたのかもしれないし、芸能雑誌で「たのきんトリオ」を初めとする人気アイドルの情報を集めていたのだろう。  泰年氏は、弟よりも一足早く帰国して読売クラブに入団する。  もう1人の若者である霜田正浩氏(現J2山口監督)は1988年に帰国。フジタ工業(現湘南)や京都紫光クラブ(現J2京都)などでプレーしたが、ケガに悩まされて27歳の若さで現役を引退し、京都やFC東京で強化と育成に手腕を発揮すると2009年には日本サッカー協会(JFA)の技術委員に就任し、得意の語学力を生かしてザッケローニ、アギーレ、ハリルホジッチら歴代の代表監督の招聘にも関わり、日本代表の強化に大いに尽力した。  カズ自身は、プロリーグ発足の機運が高まり始めていた1990年に帰国して読売クラブに入団した。初めて単独でインタビューする機会に恵まれたのが、その年の真夏の出来事だった。 =つづく (六川亨/サッカージャーナリスト)

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