〈ファジアーノ岡山J1初昇格〉「子どもたちに夢を!」広島へのライバル意識で成長続ける、木村正明オーナーのクラブ創設からの思い
サッカーJ1昇格プレーオフは12月7日、シティライトスタジアム岡山で決勝戦が行われ、ファジアーノ岡山がベガルタ仙台を2対0で下し、2009年のJリーグ参入から16年目で初のJ1昇格を決めた。 【写真】「子どもたちに夢を!」のモニュメント 試合後インタビューで岡山の木山隆之監督は「我々が今頑張れているのは、創設時から本当に頑張ってきた人たちの歴史の積み重ねだと思うので。その人たちの努力を僕たちが受け継いでいると思うし、それが我々ファジアーノの原点というか、頑張るチームだと思うし、一つ形にできてよかったと思います」と話した。 小誌記者がこのインタビューを聞き、ある人物の顔が思い浮かんだ。2005年からファジアーノ岡山の運営に携わり、06年から18年まで代表取締役を務めた木村正明氏だ。 弊誌では18年の「アジアが注目するJ2ファジアーノ岡山の魅力」と、22年の「次の30年へ〝リスタート〟 日本サッカーの真骨頂を示せ」で木村氏へのインタビューを実施した。現在はオーナーを務める木村氏は当時からJ1昇格の先を描いていたーー。今回は、この2つの記事を一部編集してお届けする。
ゴールドマンサックスから故郷のサッカークラブへ転身2018年1月20日インタビュー
毎年、東南アジアのサッカー関係者が研修のため日本を訪問する。そこでの講師として圧倒的人気を誇るファジアーノ岡山の木村正明代表。地元の名門岡山朝日高校から東京大学法学部、そしてゴールドマンサックスの執行役員を務めた。2006年地元の友人から説得を受け、37歳で岡山に戻る決断をした。 木村さんが代表に就任し、当時の経営陣で徹底的に話し合い、ある理念を設定した。 「子どもたちに夢を!」 代表に就任した当初は、旧川崎製鉄(現JFE)のOBチームが基礎になっており、プロチームですらなかった。地域リーグからJFLに昇格することで有料試合を行うようになり、そして2009年にJ2に昇格。2016年にはJ1昇格プレーオフに出たが、あと一歩およばず。2017年は13勝6分13敗の13位(全22チーム)だった。 プレーオフに出たため、チーム作りが遅れたことが原因の一つだという。プレーオフに出るとJ1のスカウトなども観戦に訪れ、選手の品定めを行うほか、プレーオフにでなかった他のチームはシーズン中に目にとまった選手の獲得にいち早く動く。ファジアーノは17年、主力の多くが抜けてのスタートになった。 それでも、木村さんの表情は暗くない。「子どもたちに夢を!」こそがゴールであり、J1昇格もそれに向けてのワンステップにすぎない。だからといって、J1昇格を先延ばしにしてよいということが言いたいのではない。 というのも、結果を出すだけでは、集客が増えたり、チームが地域に根付いたりということには必ずしもつながらないからだ。例えば「チームが強くなれば、プレーの質が上がれば、お客さんが増える」と考えがちだが、高校サッカーの全国選手権の試合にJリーグの試合よりも多くの観客が入る。クオリティと集客は必ずしも一致しないのだ。