『万葉集』と「伊勢神宮」・「夏目漱石」と「洋風建築」 二つのセットが語るもの
ネット社会における見えない建築
しかし漱石はそのままではいなかった。後半期の小説では、かつて人生を達観していた壮年の知識人(漱石自身)の、内面の不安が描かれる。それはもはや単なる西洋文明への抵抗ではなく、『行人』の主人公が感じた「どこへ連れて行かれるか分からない」近代文明への不安であり、精神の病に近いものだ。 そして漱石の時代からわれわれの時代まで、近現代文明は絶え間なく進歩している。われわれはやはりこれまでの不安とは異なる「新しい文明の不安」に直面している。インターネットという都市化における建築は、仏教建築とも洋風建築とも異なる、いわば「見えない建築」である。国家もまた個人も、ネットの向こうの「見えない敵」に晒されているのだ。 人間は都市化する動物である。都市化の本質は脳の外在化である*4。人間は都市化への反力とともに、脳の外在化への反力を心にやどす動物である。人間は常に文明=都市化=脳の外在化という現象に直面し、その力に不安を抱くものである。そしてその不安こそが人間を真に人間たらしめる力なのだ。 漱石は英語学英文学の学者として先端の人であった。しかし作家としての彼はむしろ古いものに共感を示した。ドイツに留学した森鴎外は軍医として先端の人であった。しかし作家としては、歴史もの、特に殉死ものに傾倒していった。 どちらにも目を背けない方がいいと思う。そして不安を感じ、心に反力をやどした方がいいと思う。人間は推力と反力の微妙なバランスに生きるほかに道がないように思う。 平成から令和へと替わるに当たって、『万葉集』と「伊勢神宮」がセットとして蘇った。 *1:THE PAGE 新元号「令和」 典拠となった『万葉集』は反文明の歌集だった(2019年4月6日配信) *2:THE PAGE 【都市化の残像】伊勢神宮 退位と遷宮と日本文化(2016年11月5日配信) *3:拙著『漱石まちをゆく 建築家になろうとした作家』彰国社 *4:THE PAGE AIは「脳の外在化」を進める人間の必然(2019年2月23日配信)