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「P38上空を通過し、皆々涙」14歳がつづった戦争の日常

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西日本新聞

 福岡県久留米市の中学明善校(現明善高校)OBの竹村逸彦さん(89)=東京都町田市=が、戦前戦後につづった日記を「軍国少年日記」として久留米市に寄贈した。壮絶な体験が14歳の目で詳細に記されている。 【写真】ノートにびっしりつづられた日記

八月十九日(日)晴

 休み。  鳥栖の製粉會社(かいしゃ)か何かで、麥粉(むぎこ)をリヤカー一台二十円で分けてくれるらしい、といふので、母は朝三時頃から出かけた。敵兵からとられるよりも、今のうち分けた方がましだといふ考へで、こんなに安く分けるのらしい。  父といっしょに殆(ほとん)ど一日、前の道及(およ)び横の道の掃除、それと裏の防空壕(ごう)をうめる作業をした。

八月二十二日(水)快晴

 今日より再び學校。大詔奉讀(ほうどく)・校長訓話及び今日以後の処置につき話しがあった後、日本ゴムの事務所前にて動員學徒解散式、式終わった後、運動靴の配給あり。  【注釈】大詔奉讀…終戦の詔書を指しているとみられる

八月二十三日(木)晴

 一体、何箇月目だらうか、砂糖の配給があった。久しぶりに砂糖水をのんで美味(おい)しかった。

八月二十五日(土)晴後曇

 今日より(六時から)聯合國の飛行機が偵察を開始する。作業中、P38二十數(じゅ)機上空を通過す。皆々涙をのむ。

※福岡県久留米市出身の竹村逸彦さん(89)が14歳だった1945年に書いた「軍国少年日記」を、できるだけ原文のまま掲載しています

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