「驚いたことに…」“孤独だった”サンドロ・トナーリはどう生まれ変わったのか。あの事件からの日々【コラム】
●規格外だった幼少期
サンドロは、2000年5月8日、ロンバルディーア州ローディ県サンタンジェロ・ロディジャーノの生まれだ。5歳になる前から幼稚園に隣接するオラトーリオ(教会付属の児童施設)のサッカーチーム、「サン・ロッコ80」に“許可を得ず”に参加していた。 許可を得ていなかったのは、年齢が小さく、チームに所属する対象年齢から外れていたためだが、年長者に混ざっても、誰にも年少者であることが気づかれないほどのテクニックを擁していた。 サンドロはこの頃から“規格外”だった。オラトーリオの司祭に「君はこのチームにいる子ではない」と他のクラブでプレーするように勧められ、母マリーアと共にミラノ郊外のチームを探し、6歳でロンバルディーア・ウーノに所属することとなる。ミランとの提携を結んでいたクラブである。 ブレッシャに所属していた2017/18シーズン、17歳ながらセリエBの19試合に出場し2ゴールを挙げ、“アンドレア・ピルロ2世”との評価を受け始めていた。レジスタのポジション、ゲームメイクの質、さらに、ピルロの風貌に似た長い髪、そして、ピルロと同じくブレッシャでプロキャリアをスタートさせたことも手伝って、偉大な「レジスタの後継者の出現」とメディアやファンは持ち上げていた。 しかし、本人は、もう一人の元ミラニスタを少年時代からアイドルとしていた。
●「ずっと彼に憧れていた」背番号8への特別な思い
リンギオ(闘犬)の異名を持つ、ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾ。ボール奪取にかけては右に出るものがいない、守備的MFの名手だ。 ガットゥーゾの写真がプリントされたマグカップを朝食の度に使っていたほどの憧れの的だった。ある日、この大切にしていたマグカップをテーブルから落としてしまい、割ってしまうが、マリーアが、粉々になったマグカップをセメダインでくっつけ、修復士のように元の状態に近い形に戻した。それは今も大切に保管されている。 ミランとニューカッスルで背負う8番は、ガットゥーゾが現役時代に身につけていた番号だ。それだけ強い羨望の眼差しで、ガットゥーゾを追いかけていた。トナーリは、稀代のレジスタ、ピルロについて「言葉では言い表すことができないクオリティーとテクニックを備える。追いつくことなど到底不可能だ」と高嶺の花だと謙遜する。 一方でガットゥーゾについては、「僕が、テクニックのあるガットゥーゾだって? それは言えるかもしれないね(笑)。僕はずっと彼に憧れていたんだ。子どもの頃からのアイドルだった」と語っている。