伝説の大豊作ドラフトで中日2位… 井上一樹に名スカウトが見た“器の大きさ” あの両極端な監督とも適度な距離感
◇中田宗男の「スカウト虚々実々」 スカウト歴38年、元中日の中田宗男さん(67)が今回のテーマに選んだのは、井上一樹新監督(53)だ。伝説の大豊作ドラフトである1989年の2位指名。投手として入団したが、打者転向後に花を咲かせた。新監督に託された再建の任。名スカウトの目には「人の上に立つ人間の器」が見えるという。 ◆井上一樹コーチ、練習を見守る【写真】 1989年は野茂英雄に8球団が競合。外れ1位で佐々木主浩、元木大介、2位で古田敦也と史上まれに見る大豊作のドラフトでした。中日は与田剛を一本釣り。即戦力を確保できたことで、2位は将来性を重視する方針でした。 九州地区担当の法元英明スカウトが強く推したのが、鹿児島商の井上。当時の私は関西地区担当で、獲得や指名には携わっていないのですが、法元さんが投打ともに、いや本音では打者として魅力を感じていたことは覚えています。あの年は前田智徳(熊本工、広島4位)、新庄剛志(福岡・西日本短大付、阪神5位)と九州三羽がらすともいうべき逸材がそろっていましたが、大型の左投手でもあり、一番早い指名になったのだと思います。 当時は二刀流という概念もなく、まずは投手として育成を始めました。1軍でも登板(9試合)しましたが、未勝利のまま5年目に打者へ転向。練習を見て、その能力の高さに驚いたことを覚えています。バットとボールがひっついているように見える。そこから軸回転で打球を運べる。これはもう天賦の才。年齢でいえば大卒ルーキーでしたが、アマ球界にいれば確実に1位候補だったことでしょう。その打撃能力の高さに、私はいつも「天才」と声をかけていました。 本人は「?」という顔をしていましたが、私はおだてたかったのではなく、スカウトとしての本心で言っていたのです。一度は首位打者を取ってほしかった。今でもそう思います。 投手としてはストライクを取るのに苦しんでいたので、打者転向は正解です。では、投手としての4年間は無駄だったのかと問われれば、そうも思いません。むしろ野球人としてうまくいかなかったあの時期は、指導者となった今、すばらしい経験になっているのではないでしょうか。意欲はある。努力もしている。だけどうまくいかない。そんな伸び悩みの集団が、今のドラゴンズです。井上監督は身をもって経験している。その心境がわかる。 加えて言葉に力があり、にこやか。素直だが、違うことは違うと言える。下にも慕われますが、上からも頼りにされる人間でした。現役時代には誰もが恐れた星野仙一監督にかわいがられ、落合博満監督にも一目置かれていたと思います。ある意味、両極端なこの2人と、ゴマをすらずに適度な距離を保てた人を、私はほとんど知りません。これも新監督の器の大きさではないでしょうか。 理想と現実のギャップがある野球界で、苦しんでいるドラゴンズの若手の背中を、うまく押してあげてほしい。OBとして大いに期待しています。(中日ドラゴンズ・元スカウト) ▼中田宗男(なかた・むねお)1957年1月8日生まれ、大阪府出身の67歳。右投げ右打ち。上宮高から日体大をへて、ドラフト外で79年に入団した。通算7試合に登板し、1勝0敗で83年に引退。翌84年からスカウトに転じ、関西地区を中心に活躍。スカウト部長などを歴任し、立浪、今中、福留ら多くの選手の入団に携わった。
中日スポーツ