東海大黄金世代・中島怜利が実業団から退いたワケ「プロランナーになってクリエイティブなことで勝負したい」
東海大黄金世代は今 第3回・中島怜利(東海大学→大阪ガス→TRIGGER Athlete Club)後編 【画像】徳光和夫が愛する「巨人」と「箱根駅伝」を語る・インタビューカット集 東海大黄金世代――。2016年、この年の新入生には都大路1区の上位選手、關颯人、羽生拓矢、館澤亨次ら、全国区の選手が多く集まり、東海大は黄金期を迎えた。そして2019年、彼らが3年生になると悲願の箱根駅伝総合優勝を飾った。そんな黄金世代の大学時代の活躍、そして実業団に入ってからの競技生活を紐解いていく。第3回目は中島怜利(TRIGGER Athlete Club)。 箱根駅伝で優勝を経験し、東海大を卒業した中島怜利は、大阪ガスに入社した。 大学時代は、箱根駅伝というターゲットが明確だったが、入社後は日本選手権なのか、マラソンなのか、いまひとつ目標を掴めなかった 「個人としては、どうするか見えなかったんですけど、駅伝が好きなので、まずはニューイヤー駅伝を目指していこう。つなぎ区間でいいので走りたいと思っていました」 しかし、シーズンが進むにつれ、自分の生き方に疑問を生じるようになってきた。 「引退したあと、社業に専念するんじゃなくて、自分で何かをやりたいと思っていたんです。そのタイミングがいつくるのかなと思っていたんですが、非常に早い時期にやってきた。時代の流れってめちゃ早いじゃないですか。数年後にやろうと思っていたことが、アッと言う間に古くなっていく。このまま中途半端にニューイヤーに出て、数年後にやりたいことをやろうとしても遅いなって思ったんです」 職場にチームの監督がおり、中島の仕事ぶりを見ていた。中島は監督に「プロランナーになってクリエイティブなことで勝負したい」と言うと、「おまえは確かにそっちが向いている」と理解を示しくれた。チームメイトも中島のYouTubeの構想などを聞いて「めちゃ面白そうやん」と、応援してくれた。 「実業団は、何も考えず、走ることだけに集中できる。それはすごくいいシステムだと思うけど、僕には向いていなかった。会社で、僕が14分00秒を目標にして、14分10秒になっても給料は変わらない。でも、動画のために1秒でも速く走れば、視聴回数やファンが増えて自分の会社の集客につながるので、努力することに意味があるんです。 ただ、僕が何の実績も話題性もなければ、実業団をやめようと思わなかったですね。箱根で優勝した経験があって、黄金世代という非常に話題性のある世代にいた。それを実業団では活かしきれなかったけど、自分の仕事にしていくことで活かすことができると思い、10月には退社を決めました」 退社当初は、YouTube配信で知名度を広げて何かに繋げていければという考えで、明確なターゲットは設定しなかった。陸上に関するコンテンツを作りつつ、アナリティクスで視聴者が何を好み、どこで視聴者が離れたのかなどを分析し、面白いと思うコンテンツを作って配信した。 「動画を配信した最初の頃は、何をしたいのかわからんとか、めちゃくちゃ批判されました。でも、僕はそういうのを1ミリも気にしなかった。とにかく、どんな動画が見られているのか、かなり分析しました。 僕の動画でよく見られているのが、駅伝関係です。箱根駅伝の話をすると、再生回数が伸びます。その駅伝に挑戦するコンテンツを作りたいと思って、昨年、クラブチームで東日本実業団駅伝に出場したんです」