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“10.19”がラストシーンとなった近鉄のレジェンド。最終打席の絶体絶命と起死回生/プロ野球20世紀・不屈の物語【1988年】

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週刊ベースボールONLINE

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。 梨田昌孝というキャッチャーのすごさを知っていますか?

第1試合、絶体絶命の場面で

 32年前の今日、1988年の“10.19”については、この連載でも最初の報に紹介している。黄金時代の西武を猛追した近鉄はシーズン最終日、川崎球場でのロッテとのダブルヘッダーに連勝すれば優勝だったが、この2試合を猛ダッシュで振り返ると、近鉄は第1戦に勝ったものの、第2戦では「4時間を超えて新しいイニングに入らない」という規定のため、延長10回を引き分けで終えて、優勝には届かなかった。  10月5日に首位に立ってから13日間で15試合を消化してきた近鉄ナインは疲労困憊、それでも優勝に向けて死闘を演じた姿は伝説として語り継がれているが、そんなナインの中に、このダブルヘッダーを最後に現役引退した選手がいた。梨田昌孝。21世紀に入って歴史に幕を下ろした近鉄の最後を締めくくった監督でもある。  72年に入団して以来、近鉄ひと筋17年、打席に入れば独特の“コンニャク打法”、司令塔の座を分け合った有田修三とは“アリナシ・コンビ”と呼ばれて人気を博したが、すでに35歳。故障が続き、出場機会も全盛期の半分ほどに減らしており、このダブルヘッダーでは引退を決めてベンチに入っていた。ただ、まだ表明はしておらず、対するロッテのナインも、梨田の決意を知る由もない。もちろん近年のように、このダブルヘッダーを引退セレモニーの舞台にしようという動きもなかった。このときの近鉄には、そんな余力もなかっただろう。  第1試合、梨田は控え。以前の内容と重複するが、繰り返す。規定では、この第1試合は9回を終えて同点の場合は延長戦に入らず打ち切りとなり、続く第2試合に備えなければならない。近鉄は9回を終えた時点でリードしていることが勝利、そして優勝の第一条件だった。だが、試合はロッテの優勢で進み、連戦の疲労を隠せない近鉄の打線は沈黙。それでも5回表に鈴木貴久のソロで1点を返したが、ロッテも7回裏に1点を加え、なかなか点差が縮まらない。だが、8回表に代打の村上隆行が2点適時二塁打を放って、ようやく同点に追いついた。それでも、まだ同点。残すのは1イニングしかない。そして同点のまま、9回表二死。代打に送られたのが梨田だった。  一方、ロッテのマウンドには牛島和彦が立っていた。落合博満との4対1のトレードで中日から移籍してきて2年目、歴戦のクローザーだ。前年の最優秀救援投手であり、この年のセーブ王。ロッテへ移籍してからは、その投球術も深みを増していた。パ・リーグ5チームの打者を研究して、右打者は外に流れるスライダーを強振して凡退することが多いことが分かり、武器はフォークだったが、新たにスライダーも駆使するようになっていた。梨田は右打者。チームにとって最後の打者になるかもしれない男は、自身にとって最後の打席に立った。

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