平成後期、なぜ女子高生たちは他校の「スクールバッグ」をあえて持ち歩いたのか
有名校バッグのすさまじい人気
1997(平成9)年頃から始まったこの「有名校のスクールバッグ」人気はすさまじいものがあり、現代で言うメルカリのようなフリマアプリがない時代にも関わらず、本物のブランドバッグ同様の値段で取引されていたぐらいです。 有名校スクールバッグブームの背景にはファッション誌「東京ストリートニュース」や「POPteen」などの人気読者モデルの存在がひと役買っています。 2000年代に入ると、女子高生ポジションの価値は十分あれど過剰なまでの90年代の「女子高生ブーム」は過ぎ去り、時代の空気は変わりました。 00年代初めは、90年代後半の先輩たちの影響を少なからず受けてか、昭和第一高校(文京区本郷)や法政第二高校(川崎市)など有名高校のスクールバッグの人気も健在。 一方、2003(平成15)年頃からブランド「イーストボーイ」のスクールバッグや都立片倉高校(八王子市)の「ワールドペガサス」の流行など、今までとはまた違った雰囲気になります。 それまで少しスレた印象だった制服の着こなしも、「清楚ギャル」という言葉の登場からルーズソックスが紺ハイソに変わり、リボンの付け方から見直しが入りました。
令和のライトな感覚と「カワイイ」の変化
以前もアーバンライフメトロのサイトで女子高生の制服の変化について寄稿しましたが(2020年7月26日配信「なぜ女子高生は『制服』を着崩さなくなったのか?」)、平成の終わりが近づくとともに制服はカジュアル化が進んでいきます。 以前ほど「制服」「女子高生」というアイコンにとらわれることがなくなり、またそうした考え方自体が古臭くなってきています。 スクールバッグのチョイスもまた然(しか)り。街中でよく見掛けるようになった「リュック派」に、カジュアル化の勢いを感じている人もいるかもしれません。 とりわけスクールバッグに関しては、東京の女子高生が「地方都市」の女子高生のそれを志向していると筆者は感じます。 現代で言えば、横浜高校(横浜市)のスクールバッグの人気がいい例。 90年代に青春時代を過ごした筆者と同世代には定番だった、持ち手のひもを1本外して肩に掛ける「肩はずし持ち」ではなく、斜めがけスタイルの持ち方を今どきよく見掛けるのも、現代ならではの特徴だと思います。 制服にしてもスクールバッグにしても、90年から00年代始めまで派手でやんちゃなのが「カワイイ」だった基準値から、一転二転して現代では逆に「素朴さや幼さ」「清楚」が「カワイイ」の基準値に移行しているという変化は興味深いものです。