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拠点の内外で「格差」 未来選べずいら立ち【復興を問う 帰還困難の地】(24)

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福島民報

 二〇一一(平成二十三)年秋―。太平洋から吹き込む風が、一面に広がる黄金色の穂先を揺らしていた。東京電力福島第一原発事故で大熊町南部の熊地区から会津若松市扇町に避難している無職浅野孝さん(67)は一時帰宅した際、自宅裏の水田を遠くから眺めた。コシヒカリが豊かに実っているように見えた。「田植えをしていないのになぜ…」。近づいて見ると穂先は濃い黄色。人の手が入らなくなった水田には外来植物セイタカアワダチソウが広がっていた。  原発事故で帰還困難区域に設定された。国が二〇二三(令和五)年春までの避難指示解除を目指す特定復興再生拠点区域(復興拠点)や汚染土壌を保管する中間貯蔵施設用地から外れており、除染計画は定まっていない。未来を描けない、そうした区域を町の人は白地(しろじ)地区と呼ぶ。母屋は屋根が破損して雨漏りし、イノシシに侵入された形跡もある。年に一度ほど墓参りで足を運ぶが、「目にしたくない。家を出た後は振り返らないようにしている」。避難を強いられてから間もなく十年。荒廃していく家や田畑は無情にも時の流れを刻み続ける。

    ◇  ◇  原発事故前は町内にある薬品会社の工場に勤務しながらコメや野菜を育てていた。一九八六(昭和六十一)年、二階建ての母屋を設けた。敷地に乗用車などを入れる車庫、農機具を収める倉庫なども備えた。  建築費用は完済し、定年退職が間近に迫っていた。退職後は業務に一定のゆとりがある嘱託社員として働くつもりだった。手にするはずだった安らかな暮らしは原発事故によって粉々に砕かれた。  二年ほど前、自宅解体には申請が必要、と伝え聞いた。町に問い合わせ、紹介してもらった業者に電話した。「その地区は無理ですね」。町内の復興拠点では家屋解体や除染作業が行われている。しかし、国の方針が定まらない白地地区であるが故に、業者に断られた。「母屋はもう、住める状態ではない。同じ町内で解体が進む場所があるのに、なぜうちは何もできないのか」     ◇  ◇  政府は二〇二一年度から五年間の「第二期復興・創生期間」に必要な復興事業費約一兆六千億円を確保すると決定した。本県分の約一兆一千億円とは別枠で、復興拠点外の帰還困難区域への対応などに一千億円を用意する。ただ、復興拠点から外れた地域の具体的な再生方針はいまだ定まっていない。

 大熊町の復興拠点内の一部は立ち入り規制が緩和され、住民が家を新築するなどの動きが出てきた。帰還するもしないも、自らの暮らしを選択する権利がある。一方、浅野さんを含む白地地区の住民は、望む未来を選び取ることができない。「二十年後はこうなる、三十年後はこうなるという方向性を国は示さない。戻りたい人も、戻れないと諦めている人も、何もできないままだ」。復興拠点の内外で「格差」が生じかねない現状に、いら立ちが募る。

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