追悼・水島新司「ありがとう!ごめんなさい!」美辞麗句だけでは足りない球界・郷里の大恩人への“謝意”
『ドカベン』『あぶさん』などの野球マンガ作品で知られる水島新司さんが、肺炎のため82歳で死去した。多くの野球ファンを魅了し、日本のマンガ界に一時代を築いた水島さんは、エンターテインメントの世界だけでなく野球界にも大きな影響を与え、その功績は計り知れない。水島さんと同郷の作家・スポーツライター、小林信也氏は野球界と郷里の大恩人である水島さんには、追悼、感謝を伝えるだけでは十分ではないと語る。 (文=小林信也、写真=KyodoNews)
羨望の眼差しで見上げた偉大なる先輩
(水島さんは幸せな気持ちで天国に旅立たれたのだろうか) 水島新司さんの訃報に接して、真っ先にそういう思いが胸に去来した。 多くの名作を残し、たくさんの読者に愛された。 やり遂げた人生だった、夢に描いた以上の愉快な人生を過ごしたことだろう。 はたから見ればそう思う。『ドカベン』『あぶさん』『野球狂の詩』などなど、誰もが知っている作品がすぐいくつも頭に浮かぶ。有名プロ野球選手との親交でも知られた。友だち以上の関係で、野村克也さん、江夏豊さんらスーパースターに寄り添った。 江川卓さんが大学時代、試合が終わると水島さんの自宅に直行し、当時まだ珍しかったビデオで試合を振り返るといった逸話を聞いた時の羨望(せんぼう)は忘れられない。見上げる私たちにとっては、これ以上ないうらやましすぎる存在だった。
現在につながるパ・リーグ隆盛の仕掛け人
初めて水島さんに会ったのは、《熱パ》キャンペーンの発表記者会見だ。正確には《エキサイティング・リーグ・パ》と題してパ・リーグを盛り上げようと博報堂が広告キャンペーンを仕掛けた。そのキャラクターに水島さんが起用された。 都内の一流ホテルに設(しつら)えられた会見場に現れた水島さんは、およそホテルの厳かな雰囲気とは不似合いな、派手なユニフォーム姿だった。よく見れば、パ・リーグ6球団のユニフォームをつなぎ合わせた、オリジナルユニフォーム。特定の球団でなく、パ・リーグ全体を応援する意思を表した衣装だった。 言うまでもなく、当時はセ・パの人気格差が大きかった。知名度も注目度も恐ろしいほどの差があった。そんな時代に、水島さんは南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の代打を主人公にしたマンガ『あぶさん』をヒットさせ、読者にパの魅力、パに生きる選手たちの武骨さや人間味を伝える役割を果たした。 まだ26歳の私は、スポーツ誌『Number』のスタッフライターになって半年くらい。そのNumberが45号(1982年2月20日号)で特集『熱パじゃ!』を組み、水島さんがそのユニフォーム姿で仁王立ちし、吠える姿を表紙に使った。その特集や熱パ・キャンペーンですぐセの人気に追いついたわけではなかったが、パ・リーグを主役に据え、パの面白さを真正面からアピールした、それが最初だったのは間違いない。 ちょうど40年がたったいま、セ・パの人気は拮抗し、格差などという概念を持たない若者が増えているのではないか。日本シリーズは昨秋ヤクルトが勝つまでパ球団の8連覇が続いていた。かつては、負け惜しみも少し含んだ「人気のセ、実力のパ」という言葉がよく使われたが、いまはもう「実力のパ、人気もパ」としてもセ・リーグは文句のいえない状況になっている。その先鞭をつけたのが水島さんだ。