武田真治 筋肉体操のキッカケは忌野清志郎!? 「“自転車必須”の時間がなければ、今の僕はいない」
アーティストの坂本美雨がお届けするTOKYO FM「坂本美雨のディアフレンズ」。9月15日(火)の放送は、武田真治さんがゲストに登場。ニューアルバム『BREATH OF LIFE』の紹介や俳優デビュー時代について語ってくれました。
坂本:武田さん、ご結婚おめでとうございます! 武田:ありがとうございます! 坂本:武田真治さんは、9月9日(水)にアルバム『BREATH OF LIFE』をリリースされました。24年ぶりのアルバムなんですね。 武田:実は、前回のアルバムが出た頃は2年連続リリースがあったり、ホールツアーとかがあったんですよ。だけど、当時はそこまで体力がなかったと言いますか。サックスでインストだと、イントロ、Aメロ、Bメロ、サビ、間奏、アウトロの全部を吹かないといけなくて、それが2時間3時間続くと、体、特に顎の負担が大きくて……。それもあって顎関節症になってしまいました。それで、1997年から1、2年はサックスが吹けなくなりました。 坂本:大変な状況だったんですね。サックスをお休みされている間は、体力をつけるためにトレーニングをされたのでしょうか。 武田:はい。1999年ぐらいに忌野清志郎さんと出会って、ロックプロジェクトであるラフィータフィーに参加したんです。そうしたら、音楽の練習と同じ日に自転車走行日も設けられていたんですよ。 坂本:へえー! 武田:当時の清志郎さんは、ちょうど今の僕ぐらいの年齢だったのですが、ご自身の体力を見直されている時期だったのかと思います。清志郎さんはもともと、ロックスターをそのまま体現されたような生活を送っていたと思うので、だいぶ不健康だったはずです。ですので、自転車で体力をつけようと決心されたんだと思います。そういう経緯があり、僕も自転車のトレーニングに参加することになりました。 坂本:そうだったんですね。自転車で一緒にいろんなところに行かれたりしたんですか? 武田:ツアー中、街から街の移動は自転車でしたね。 坂本:すごい(笑)! 武田:横浜のライブのとき、僕は車で運転して会場に行ったんですけど、清志郎さんは自転車で来ていましたね。 坂本:本当に(笑)!? 自転車に乗ると、新しい世界が開かれそうですね。 武田:あの頃の“自転車必須”の時間がなければ、筋肉体操をしている今の僕はいないと思います。 坂本:そうかあ。その経験がベースにあるんですね。 (中略) 坂本:質問です。デビュー当時に戻れたら、やってみたいことはなんですか? 武田:デビューしたのは1990年ですね。何だろうな。悔しかったこととか後悔していることって、いろいろあるんです。でも、そういうことも含めて今の自分がいるのかなって思ってしまうんですよね。当時の自分が健康だったら、今の自分はいなかったと思うんです。なので、過去に戻れたらってことは普段は思わないようにしているんです。だけど、あえて言うなら、何人か、気にはなっていたけど声をかけられなかった子がいましたね。しゃべってみたいかな。 坂本:なるほど(笑)。声をかける勇気が出なかったのですか? 武田:「自分なんて」と思っていたけど、急に芸能界でチヤホヤされて「硬派でなければいけない」と考えをあらためたのですが、その切り替わりの期間が短過ぎたんですね。普通に話してみたかった子にも硬派を気取ってしまいました。 坂本:当時、武田さんは17歳ですよね。普通に恋愛を楽しみたかった時期だと思います。 武田:お給料が少なかったから、デートは当時難しかったと思うなあ。 坂本:そうかなあ(笑)。どんな若者だったんだろう。私たちが知っている姿とは違っていたかもしれない。 武田:(想像しているより)地味だと思いますよ。僕が出演したドラマ「南くんの恋人」ってご存知ですか? 坂本:もちろんです。ちょうど私の年代のドラマでした。 武田:ヒロイン役の高橋由美子さんとはあまり話せなかったんです。「小さくなった恋人」っていう特殊な設定だから、撮影時はグリーンバックだし、撮影日自体も違ったんです。 坂本:そっか! そういう設定でしたね(笑)。 武田:実際にヒロインがポケットに入っていると思いました(笑)? 坂本:(笑)。昔のドラマを思い出すと、当時の自分のことも蘇ってきますね。苦しいような切ないような、キュンとする気持ちです。 武田:坂本さんにとって、初恋をするぐらいの年代ですよね。 坂本:なんだか変な汗をかいちゃいました(笑)。 武田真治さんのニューアルバム『BREATH OF LIFE』は、現在発売中です。詳しくはワーナーミュージック・ジャパン・オフィシャルサイトをご覧ください。 (TOKYO FM「坂本美雨のディアフレンズ」9月15日(火)放送より)