【世界に挑む日本人ライダーの足跡】Moto3鈴木竜生選手、意識が変わった10歳の大怪我。「嫌い」が「好き」になったとき
「それが初めての手術で、危ないスポーツだなということを、身をもって感じた転倒でした。このスポーツはどうしても危険も伴います。大きな事故があったとき、ほかのスポーツよりも命にかかわるリスクが高いです。このとき初めて大きな怪我をして、父としても、“ここから先は強制はできない。自分の意思でやりたいなら続ければいいし、これで終わりだと思うなら、それでいい”ということでした」 「大きな怪我をした直後は痛いし、手術もしたので、すぐにやめようと思ったんです。でも、バイクに乗るということが、すでに自分の日常の中に入っていて、乗らないと何か足りない感覚もあったんですね。バイクに乗って、普段では味わえないスピード感。思い通りにバイクを走らせることができる、という感覚をもう一度感じたかった。言い換えれば、それが好き、ということだったんでしょうね」 鈴木選手にとって、その怪我は転換期となりました。プロになろうと決めたのも、その転倒と怪我がきっかけでした。鈴木選手にとって、再びバイクに乗ることと、この道を極めるのだ、という決意は、同義でした。 「バイクにまた戻ろうと決めてからは、自分の意思でやるところまでやる、と自分で決めました。ひとつの区切りでしたね」 鈴木選手は地方選手権に参戦したのち、全日本ロードレース選手権に参戦することなく、ヨーロッパへと飛び出します。それまでの日本人ライダーの多くは全日本ロードレース選手権で好成績を収めて世界に挑む、というルートが多かったのですが、鈴木選手はそのルートを選ばず、地方選手権ののち、MotoGPを目指す若いライダーが各地から集まってしのぎを削る、FIM CEVレプソルMoto3ジュニア世界選手権(現在のFIMジュニアGP世界選手権)に参戦するのです。 2014年にアジア、オセアニアの若いライダー育成を目的としたアジア・タレントカップがスタートしたこの時期以降、現在はアジア・タレントカップを経てジュニアGP世界選手権やレッドブルMotoGPルーキーズカップで揉まれて、ロードレース世界選手権デビューを果たすのが一般的なステップになっています。 ただ、鈴木選手が世界を目指した当時、2014年はそうした意味で過渡期でした。新しい道筋で海外に挑戦を果たしたパイオニア的存在、と言って良いかもしれません。