【世界に挑む日本人ライダーの足跡】Moto3鈴木竜生選手、意識が変わった10歳の大怪我。「嫌い」が「好き」になったとき
「言い換えれば、それが好き、ということだったんでしょうね」
FIM(国際モーターサイクリズム連盟)が主催する2輪ロードレース世界選手権の最高峰の舞台、MotoGPに参戦する日本人ライダーの足跡を紹介します。今回は、Moto3クラスに参戦する鈴木竜生(すずきたつき)選手(リキモリ・ハスクバーナ・インタクトGP)に話を伺いました。 【画像】世界に挑む日本人ライダー、Moto3鈴木竜生選手を見る(5枚)
「嫌いでしたよ。……あまり、好きじゃなかった」 鈴木選手に「バイクに乗ったきっかけ」から話を聞いていると、そんな言葉が飛び出しました。その言葉は、さりげなく自然に、けれど、これは言わなくちゃいけないことだから、といった具合に、ぽんと鈴木選手の声に乗ってきたのでした。 2024年シーズン現在、Moto3クラスで戦う鈴木選手がバイクに乗り始めたのは、お父さんの影響でした。鈴木選手のお父さんは、いわゆるバイクブーム世代だったそうです。 「憧れていたんでしょうね。長男が生まれたら、レーシングライダーにする、というのがお父さんの考えだったんです」 「まだ3歳か4歳になったばかりのころ、父がポケバイを買ってきて、何も聞かずに“お前はこれに乗れ”って。まだ自我すらないときですよ。毎週末、バイクに乗りに行くのがスタンダードだったんです」 冒頭の「嫌いでしたよ。……あまり、好きじゃなかった」という言葉は、このあとに続けられたものでした。 けれど、鈴木選手はポケバイからミニバイクにステップアップし、走り続けました。 「いつからバイクを好きになったと思いますか?」と尋ねると、鈴木選手は少し考え込みました。そして、こう答えました。 「(今は)好きですよ。……いつから(バイクが)好きになったかというと、たぶん、最初に大きな転倒をして大きな怪我をしたときからですね」と。 それは、鈴木選手が10歳のとき、ミニバイクで走っていた頃に負ったものでした。足首を粉砕骨折し、膝から足首にかけて伸びる2本の骨、脛骨と腓骨を両方とも骨折する大怪我だったのです。若かったこともあって回復は早かったとはいえ、それでも3カ月の間、松葉杖生活を送りました。 ひどい怪我を負ったこのとき、鈴木選手は、このスポーツに真正面から向き合うことになったのです。リスク、それから、バイクに乗る魅力、ふたつの側面に。