他人の評価に依存してしまう...「承認欲求が強い人」に不足しているものとは?
自己承認がうまくなるために、これだけやって!
でも、自分を認めるって、どうやったらいいのかわからない! そんな方のために、私がかつて師としていたカウンセラーの先生に聞いた言葉をプレゼントします。当時の私は自己肯定感のカケラもないような人間でした。そこで先生に尋ねたんです。 「自分を認めるってどういうことですか?」 その時、先生に言われた言葉を今でも大切にしています。そして、これほどわかりやすい「自分を認める」はないのではないかと思っています。先生はこう言いました。 自分を認めるってね。ただ、そこに「在ること」を許すということなんだよ。花が咲いていたら、こう言おう。ああ、咲いているんだね。それでいいよって。 ただそこに「在る」。それでいい。ただ「在る」ことを許す。これが自分を認めるということです。あなたの感情はあなたのものです。そして、感情はただ湧き出してるだけ。あなたの感情はすべて尊重されるべきなのだ、ということです。 それなのに人は、「こんなこと感じたらいけない」とか「私ってば心が汚い」とか、ついつい自分をジャッジしてしまう。ジャッジとは裁くという意味ですね。同じ自分の中で正義側が悪側を「ひどいやつ認定」しているのです。 あなたの正義が裁こうとしている悪は本当に悪なのか? ということを思い出してみたいものです。
時には人のせいにしていい、他責もウェルカム
すべての感情を許すことが自己承認だとした時、究極「人のせいにしたっていいよ」ってことです。 とは言っても、多くの人は子ども時代に親から「人のせいにするな」と教わってきたから、抵抗感がありますよね。何かトラブルがあった時には、つい「自分のせい」にしてしまいます。 「仕事でミスしちゃった。みんなに迷惑かけちゃった。私のせいだ!」 そうして、ひとりになってひとり反省会をしている人も多いのではないでしょうか。でも、これまで身の回りで起こったトラブルを思い出して冷静に考えてみてください。 トラブルは本当にすべてあなたのせいでしたか? 仕事のミスがあった時に、一部はあなたが見直せる点はあったかもしれない。でも、システム上わかりにくかった、という問題もあるかもしれないですよね。 だとしたら、「ここは私が注意不足でしたが、ちょっとシステム上わかりにくかったかもしれません」ということ自体、何も悪いことではないですよね。あなたのミスがきっかけで、システムエラーを見直すことができるのであれば、後から仕事をするみんなのためにもなっていきます。 こんな例もあります。 陰でコソコソ悪口を言う人がいたとします。あなたはその人に不快な思いをしています。陰でコソコソ悪口を言われる。これはあなたのせいでしょうか? いいえ、相手の言葉は相手の責任です。もし、これもあなたのせいなのだとしたら、「ねぇ、あの人の悪口すごくてみんな迷惑しているから止めてもらえないかな? だって彼女の悪口ってあなたのせいなんでしょう?」なんてことになりかねません。 「そんな理不尽なことありますか! こっちだって迷惑しているのに!」って、思わず叫びたくなりますよね。 世の中には責任の領域というものがあります。あなたの責任の領域はあなたが直接関われる範囲まで。そして、同じように相手にも相手の責任の領域があります。相手の不機嫌も悪口も、不快な態度も相手の責任。時に人のせいにしていくことで相手の責任を相手にお返しすることができるのです。 「人のせい」という言葉が苦手な人は「相手の責任」という言葉に置き換えて考えてみてくださいね。
池田由芽(心理カウンセラー)