アジアン・ヤング・ジェネレーション~香港(2)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
――それならば、である。先ほどヒンが発した、「われわれの世代で、東アジアから、この研究分野をリードしていけばいいんじゃないか?」という言葉が、私には強く重く響いた。 ヒンとは初対面だし、社交辞令的な腹の探り合いからはじまるのかと思いきや、彼とはハナから、そんなド直球な話題に花を咲かせた。これも熱いジャスミンティーの効力なのだろうか? ヒンに引っ張られる形で展開したこの話は、この連載コラムの中でもどこかで触れた、アジアン・カンフー・ジェネレーションのある歌の、「最終形のその先を担う世代」という歌詞と同じ文脈のようにも思えた。 ■「新型コロナのその先」を担う世代 話を聞くかぎり、ふたりは私とほぼ同年代のようだった。 これも余談だが、日本では半ば社交辞令に付随するコバンザメのように相手の年齢を聞くような文化があるが(それで上下をハッキリさせたい、という思惑からくる文化なのかもしれないが)、私の経験上、少なくとも欧米の研究者に年齢を聞くことは、どちらかというと礼儀知らずというか、場違いな行為と取られる場合が多いように思う(海外の研究者の履歴書にも、年齢を書くことはほとんどない)。私もそれにどこかのタイミングで気づき、よほど気心が知れるまでは、あるいはそれを知る必要性が生まれたとき以外には、不必要に年齢は聞かないようにしている。 いずれにせよ、厳密な年齢など知らずとも、同世代なのは明らかである。歳がひとつやふたつ多かろうが少なかろうが、それでなにが決まるというのだろうか? そんなことよりも、こうやって、国境をまたいでモチベーションを共有するというのは、「新型コロナ研究のその先にある研究」を考える上で、とても重要である。そういうマインドこそが、「新型コロナのその先」、つまり、「次のパンデミックへの備え」となる研究へとつながっていくはずである。 ※(3)はこちらから 文・写真/佐藤 佳