<中村悠一>「るろうに剣心」 比古清十郎を演じる面白さ 「剣心」名付けシーンの奥深さ
「剣心が剣心として自分で戦って、自分で何かを変えようとしていく一番濃い部分が『京都編』なのかなと。次の雪代縁が登場するところになると、自分の贖罪(しょくざい)になっていたり、『北海道編』になると“引き継ぐ”という話になるので、そういう意味では、剣心が自分の意志で前に進んで何とかしていこうとしている部分は、『京都編』が一番色濃いし、スタートした時からの『るろうに剣心』という作品のテーマが濃く出ている部分かもしれないなという気はしますね」
◇剣心と比古清十郎は「会話をしていない」? 独特の師弟関係
比古清十郎の名前は隠し名で、人付き合いを避けるため新津覚之進という陶芸家として京都の山奥に暮らしている。剣心は、志々雄一派との戦いに向けて飛天御剣流の奥義を伝授してもらうため、比古の元を訪れることになる。剣心の師匠である比古を演じることになり、「難しいキャラクター、難しいお芝居になる」と感じたという。
「キャラクターの年齢で言うと、僕は同じ年くらいなのですが、この時代における40代前半がどういう意味なのかと考えると、今の自分よりもちょっと背伸びした立場だよなと、いろいろ考えました。比古清十郎自身は、達観しているけど諦めているものもあって、身を引いている。自分1人の力で変えられることは、ほんのささいなものでしかない、どれだけ圧倒的な力を持っていても、国が変わるわけじゃないことは分かってしまっているから、自分が生活してる範囲の出来事にしか首を突っ込まない生き方をしている。かつ人嫌いで山奥で暮らしているから、誰とも会わないし、誰も守る気がないわけです。ただ、難しいところが、そんなキャラクター像があるんですけど、このお話の中で演じる際には、そうした描写はないんです。比古の“虚無”は描きようがないし、僕も演じようがない。なので、剣心と対面した時には弟子に対して今持っている怒り、確執的なものをぶつけなきゃいけないという」