<西野亮廣>ゴミ人間~『えんとつ町のプペル』誕生の背景と込めた想い~「忘れないように、忘れられないように」【短期集中連載/第11回】
芸人、絵本作家ほか、ジャンルの垣根を飛び越えて活躍する西野亮廣。2016年に発表し50万部を超えるベストセラーとなっている絵本『えんとつ町のプペル』だが、実は映画化を前提として設計された一大プロジェクトだった。構想から約8年、今年12月の映画公開を目前に、制作の舞台裏と作品に込めた“想い”を語りつくします。第11回目は、西野亮廣を作品制作に駆り立てる、あまりに大きな動機について、です。その出来事が起こってしまった2015年の夏を振り返ります。 ■おとぎ町 映画『えんとつ町のプペル』より。MV(欄外動画)でもおなじみの、スモーキー達によるハロウィンパーティーのシーン とてもセンシティブな内容なので、これまでずっと黙っていたのですが、映画『えんとつ町のプペル』ができるまでの物語を語る上で、絶対に外すことができない思い出があります。絵本『えんとつ町のプペル』が世に出る一年前の話です。 あの夏、僕は東京・青山で『おとぎ町ビエンナーレ』という個展をおこなっていました。SNSで皆が「いいね」や「フォロワー」と求めるようになり、国民全員が発信者となった今、お客さんは「サービスを受け取る」だけでは飽き足らず、面白い発信をする為にコストを割くようになりました。僕らがイベントチケットを販売するときは、チケット料金が安い順から「B席」「A席」「S席」「スタッフになれる権」とあるのですが、毎回、一番最初に完売するのは最も値段の高い「スタッフになれる権」です。 それこそ、エッフェル塔でおこなった個展の際に出した「スタッフになれる権」は即完。エッフェル塔の中で、パリの夜景をバックにスタッフの皆とおこなった打ち上げは、とても良い思い出です。 「面白い仕事を買う」「お金を払って働く」は、上の世代の人からすると「ブラック企業」や「やりがい搾取」、はたまた「カルト宗教的」に見えるそうですが、本質的には「お金を払って火をつける」や「お金を払って肉を焼く」とやっているBBQやキャンプと変わりません。今となっては、(少なくとも自分達周りでは)ベターとなりましたが、当時は、「お金を払って働く」なんて、誰も考えていません。そんな中、その道を切り開いたのが『おとぎ町ビエンナーレ』でした。 スタッフは、ほぼ全員がボランティアか〝有料ボランティア〟。仕事の対価は、仕事終わりの打ち上げと、「まだ何者でもない自分達が、万人規模のイベントを仕掛けている」という体験です。ボランティア募集をかけたところ、200枠がすぐに埋まり、そこで僕は「今のお客さんは発信したがっている」ということに気がつきます。 ボランティアスタッフが集まった最初の会議で、僕は、「発信者と受信者の境界線を曖昧にして、お客さんが作って、お客さんをお招きするエンタメを作りましょう」と話しました。その話を他の誰よりも前のめりで聞いていたのが、「ノンちゃん」でした。四六時中、前歯を出してデレデレ笑っている女の子です。 ボランティアスタッフのリーダーに立候補してくれたノンちゃんは、僕とボランティアスタッフの間に入ってくれて、全員に分け隔てなく愛情を注ぎ、時々、「もっと、しっかりしてくださいよ!」と僕を叱ります(笑)。 個展会場の設営は学生時代の文化祭のようで、僕も仕事が終われば会場に向かいトンカチ片手にトンテンカン。設営の終わりが近づくと、誰かが近くのコンビニから大量の缶ビールを買ってきて、まもなく個展会場の前で宴が始まります。「オープンに間に合うかな」と言いながら、ビールと枝豆を口に放り込み、完成前の個展会場の入場ゲートを眺める面々。 『おとぎ町ビエンナーレ』の入場ゲートには、少し汚れた幕が垂れています。これはノンちゃんからの提案でした。 「西野さん。この幕の、新しい感じ、なんか鼻につきません?」「鼻にはつかないけど、言いたいことはわかるよ」「ちょっと〝汚し(よごし)〟を入れてアンティーク感を出した方が、温かい感じがすると思うんです」「そうだね。ちょっと汚そうか」「私、やっときますね」 そう言うと、「ノンちゃん」は近くの〝植え込み〟に走ります。何事でしょうか? 様子を見ていると、植え込みから盗んできた土を、入場ゲートの幕に塗り込むノンちゃん。 「ノンちゃん! 土でやっちゃうの?」「一旦、土で試してみます」「それより、植え込みの土は盗んじゃダメだよ」「わかってますよ。絶対に黙っておいてください。ギャハハ」。また前歯を出して笑います。 そんな感じで温もりたっぷりに完成した会場が僕は本当に大好きで、個展開催期間中は仕事場を丸ごと会場内に移し、毎日、『おとぎ前ビエンナーレ』の中で仕事をしていました。 ノンちゃんは、子供が工作を親に自慢するような調子で、会場に友達を連れてきては、自分が手がけた場所や、仲間が手がけた場所を懇切丁寧に説明し、説明が一通り終わると、会場内に設けられたカフェスペースで、またまたビールを呑みます。さすが酔っ払いは、仕事をしている僕にも容赦なく話しかけてきます。 「西野さんって、ディズニーを超えるんですか?」「超えるね」「マジっすか? ヤバイっすね」「ちょっと静かにしてもらえる?」「ちなみに、今、何を描いてるんですか?」「『えんとつ町のプペル』という絵本。ゴミ人間の物語」「ゴミ人間? ヤバーイ!」 『おとぎ町ビエンナーレ』は、人が人を呼んで、連日、たくさんのお客さんで賑わっていました。三角フラッグがたなびく会場内を、チビッ子が走り回ります。敷居の高さなど1ミリもなく、ノンちゃんの狙いどおり、とてもとても温かい空間になっていました。 今、こうして振り返ってみても、今の時間と、あの夏のあの場所が地続きにあるような気がしなくて、まるで夢の中のように、まったく別の世界の出来事のように感じます。とても不思議な感覚ですが、きっと『おとぎ町ビエンナーレ』に足を運んだ全ての人が、同じように捉えていると思います。あそこは、それだけ特別な場所でした。 同会場での来場者記録を更新し、あとは、この夏の終わりを皆で迎えるだけとなった8月24日。突然、ノンちゃんから、フェイスブックのDMが届きました。「どうせ、また呑みの誘いに違いない」と思ってDMを開いたところ、「すみません。個展のお手伝いができなくなってしまいました」という文字が飛び込んできます。DMの送り主はノンちゃんではなく、ノンちゃんのお母様。 ノンちゃんが交通事故で天国に逝ってしまったという連絡でした。 飲酒した男の車が、海水浴帰りにノンちゃんに突っ込み、その後、男は逃走。許すことができない事件でした。お母様から連絡をいただき、その日の仕事は全てキャンセルをして、ノンちゃんがいる神戸の御実家に向かいました。家の前に到着したことをお母様にお伝えすると、「すみません。今、ノンのお化粧をしているので、もう少しだけお待ちください」と返ってきました。交通事故です。否が応でも事情を察します。家の裏手が海になっていたので、行ってみました。 昨日まで前歯をムキ出しにして笑っていたウチのスタッフが、もうこの世界にはいないなんて、まだ、まるで信じられなくて、涙がこみ上げてくることはありませんでした。その間に考えていたのは、御家族の皆様との向き合い方です。どんな言葉をかけても刃になりそうな気がして、家に入ってからのシミュレーションを何度も何度もおこないました。まもなく連絡をいただき、家に上がります。ノンちゃんは、一番、奥の部屋で眠っていて、その横で、妹さんが泣いています。お父様とお母様は「西野さん。お忙しい中、本当にすみません」と何度も言います。気丈に振る舞っていますが、今にも崩れそう。 あれだけうるさかったノンちゃんがちっとも動きません。「ドッキリでした」の一つでも言ってくれないと、まったくノンちゃんらしくありません。ずっと止まっているノンちゃんを見ても、まだ「ノンちゃんが死んじゃった」という実感が湧かなくて、自分でも驚くぐらい冷静でした。 御家族の皆様に話すことは決めていました。ノンちゃんがリーダーとしてどれだけ頑張って、どれだけたくさんの人に愛されたか。この夏、ノンちゃんが残してくれたたくさんのギフトを、御家族の皆様に伝えられるのは僕しかいないので、新幹線に飛び乗り。ここに来ました。 その話をキッカケに、少しずつ会話が回り始めて、御家族の皆様が「これは、ノンが高校の時に作った作品で…」と、実家に残っているノンちゃんの作品を次から次へと見せてくださいました。相変わらずフザけた作品ばかりで、皆で、「ほんと、バカですね」と少しだけ笑いました。そのとき、「この娘には作品があって良かったな」と思ったことを今でも強く覚えています。 1時間ほどお話しさせていただきましたが、結局、僕は最後の最後まで感情が乱れることはありませんでした。困ったことがあればいつでも駆けつけることをお約束し、御家族の皆様に別れの挨拶をして、玄関の扉を締め、一息ついた直後、涙が溢れてきました。 涙は一時的なもので、すぐに止まると思っていましたが、まるで止まる気配がありませんでした。このままだと電車にもタクシーにも乗れないどころか、街も歩けません。駆け込むように裏手の海に行き、そこで泣き崩れました。何度、涙を拭っても、「ノンちゃんが死んじゃった」ということが後から後からやってきて、奥底に貯め込んでいた涙を押し出すのです。夜の海は人がいなくて、波の音も大きいので、声を出して泣いても誰にも見つかりません。 「西野さんって、ディズニーを超えるんですか?」「超えるね」「マジっすか? ヤバイっすね」「ちょっと静かにしてもらえる?」「ちなみに、今、何を描いてるんですか?」「『えんとつ町のプペル』という絵本。ゴミ人間の物語」「ゴミ人間? ヤバーイ!」。ノンちゃんと交わした会話が全て甦ります。 あの夏はもう返ってきませんし、これから思い出が増えることもありません。この先、たくさんの仕事に追われて、たくさんのことを考えれば考えるほど、あの夏の思い出は隅に追いやられて、ノンちゃんと交わした会話がジワリジワリと僕の中から消えてしまいます。時間が経てば経つほど、『おとぎ町ビエンナーレ』という、とびっきり温かくて優しい空間を作ったスタッフがいたことが、皆の記憶から消えていきます。 「人は二度死ぬ」と言われます。一度目は肉体的な死。二度目は忘却による死。一度目の死は誰にも止めることはできませんが、二度目の死は止めることができます。ノンちゃんの実家にあったノンちゃんの作品は、あんな状況でも、家族の会話を生み、この世界にノンちゃんがいたことを再びアナウンスしました。つまり、ああいう機会を作れば、ノンちゃんの二度目の死を止めることができます。 共に汗を流したスタッフとして、彼女のことをいつまでも忘れないように、忘れられないように、絵本『えんとつ町のプペル』に出てくる船のデッキに、彼女のニックネームを掘っておきました。それは、僕の中で、絵本『えんとつ町のプペル』を一人でも多くの人に届ける意味の一つになっていて、今日もせっせとサイン本を作って、配送しています。 絵本『えんとつ町のプペル』が世に出る一年前。とても暑かったあの夏、前歯をムキ出しにしてゲラゲラ笑うバカなスタッフがいました。彼女が今どこにいるかは知りませんが、映画、観に来てくれたら嬉しいな。 (第12回は11月9日[月]更新予定)