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生き残った私は幸せになっていいのか。罪悪感を抱く人にこそ、天童荒太は言葉を届けたい

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BuzzFeed Japan

あまりに強い、元へ戻ろうとする力

私たちは喪失を分かちあうことができたのか? 天童は問いかける。 「復興」という言葉を掲げ、元に戻ろうとする力ばかりが強く働く。しかし、元に戻ることは不可能ではないか… 「あの日を境に、何かを失った人たちは、もう元には戻れないですよ。しかし、社会は失ったものを数字で捉え、過去の出来事にしてしまうことを求める」 「人々は元の生活に戻ろうと、土木工事などにお金を注ぎ込んだ。震災を1つの契機に、もっと違う形の生活を作ることができないかという方向には議論は進みませんでしたね」

立ち止まり、大切なものは何か向き合い、語り合うことは「全くできていない」。天童は言う。 復興という名の下、元通りの日常へと戻る力が強く働いた。そこで何よりも大きな力を発揮したのは経済合理性だ。復興すら「経済の一コマになってしまった」と考えている。

「生きている人たちは、幸せになっていい」

死は辛く、悲しいものなのか。 いや、「むしろ、もっとオープンに語るべきではないか」。 誰かの死を話題に上げないような配慮ばかりが行き届き、周囲は必要以上に慮る。そんな空気に、抵抗がある。 「誰もがいずれは死を迎えるし、家族や友人で誰も失くしていない人間なんて、まず誰もいないですよね。みんな、誰かしら失くしている。だから、きっと僕らは共有感覚を持って死を語り合えるはずなんですよ。死を通じて、僕らはもっと近づけるかもしれない」 2016年、テレビ番組のロケで宮城県気仙沼市を訪れたとき、ピリついた空気を肌で感じた。それは自分が生きていることへの後ろめたさなのではないかと振り返る。 重い空気を背に、その日、天童は言葉を発した。 「大切なあの人は、亡くなったのに、あるいはまだ行方不明のままなのに…私だけが幸せになっていいのかと、自分を責めるように考えていらっしゃる方がいます。でも、私は、生きている人たちは、幸せになっていいし…むしろ、幸せになることこそが失われた命に向けての、誠実な祈りになる、と思っています」 幸せになることが、死者への誠実な祈りになる。ふいに口をついて出た一言だ。その思いは今も変わらない。

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