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ウイルスに立ち向かう切り札は「政府」だ!

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◼️二段構えの戦略が必要 CDC(アメリカ疾病予防管理センター)の局長を務めたウィリアム・フォージ博士も、「微生物のグローバル化」が進んだ結果、1990年代の段階で、アメリカ国内における人々の健康と、他の地域の人々の健康は切り離せなくなったと考えていました。  いわく、アメリカや西ヨーロッパの人々を疫病の流行から守り、健康を保障するためには、アゼルバイジャン、コートジボワール、バングラデシュといった地域の人々にも、同様の保障を提供しなければならない。  たんなるナショナリズムでこれが可能でしょうか?  微生物の側がグローバリズムにめざめた以上、人間もそれに対応するしかない。  われわれが疫病に対処するには、二段構えの戦略が必要なのです。  (1)国内における感染症の流行(わけても新しい病原体によるもの。以下同じ)にたいしては、「自国民優先の原則のもと、あらゆる国民を守る」というナショナリズムにしたがい、政府がリーダーシップを発揮して、感染被害と経済被害の双方をできるだけ抑制する。  (2)より根源的な対策としては、「自国民の健康は他国民の健康と切り離せないという原則のもと、世界のあらゆる人々を守る」というグローバリズムにしたがい、地球上の全地域における感染症の流行の抑制に務める。  感染被害が大きければ、経済活動もそれだけ停滞します。  つまり他国、とくに日本と関わりの深い国における感染症の流行が止まらなければ、わが国にも感染被害と経済被害の双方が波及するリスクが高い。  必要な輸入品が来なくなったり、こちらの製品にたいする需要が減って、輸出が減少したりするためです。  最初のアルマ・アタ宣言は、健康について「社会的・経済的に生産性のある生活」を送れることと定義しましたが、その意味では自国民の繁栄も、結局は他国民の繁栄と切り離せません。  まさしく「情けは人のためならず」なのです。  グローバリズムというと、各国政府のコントロールを越えたところで、多国籍企業が好き放題やるようなイメージがあります。  現実が多分にそうなっているせいですが、それがグローバリズムのすべてというわけではない。  多国籍企業が幅を利かすのは「新自由主義型」のグローバリズム。  ここで提起されているのは、地球規模のリーダーシップを発揮できる政治的主体の形成をめざした、「世界政府型」のグローバリズムです。  先に触れた「1945年の理想」、つまり国連を中心とした地球規模の平和と繁栄の追求は、こちらに近い考え方。  要するに、国家レベルでも世界レベルでも、「政府」なしにはパンデミックに対抗できないのです。  冷戦が自由主義諸国の勝利に終わったことは、「グローバリズム=新自由主義」の図式を定着させてしまうという、あまり感心しない副作用を伴っていました。  新自由主義は政府の役割をできるだけ小さくしようとしますから、社会は疫病にたいして脆弱になってしまう。  ハワイ・シミュレーションの行われた1989年は、昭和から平成に元号が変わった年ですが、わが国も平成の間じゅう、新自由主義的な発想に基づく構造改革を行ってきました。  その結果、1992年に852ヶ所あった全国の保健所は、2019年には472ヶ所と、なんと45%減。  国立感染症研究所の研究者数も、2013年には312人でしたが、現在は294人です。  しかも常勤は3割程度。  CDCと比べると、人員は42分の1、予算にいたっては1077分の1だとか。  https://www.chosyu-journal.jp/shakai/16032  けれどもここまで来ると、いっそう面白いことが見えてくる。  望ましい疫病対策のあり方は、ある経済理論と奇妙に似通っているのです。  これについては、次号「パンデミック対策はMMTで決まり!」でお話ししましょう。(つづく)

文: 佐藤健志 写真:10 Downing Street/AFP/アフロ

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