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織田信長と斎藤道三を不思議な絆で結びつけた『聖徳寺会見』の真相【麒麟がくる 満喫リポート】

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サライ.jp

文/安田清人(歴史書籍編集プロダクション・三猿舎代表) 親子や兄弟の間でも骨肉の争いを展開することが珍しくなかった戦国時代。美濃の義父・斎藤道三と尾張の娘婿・織田信長の間は不思議な絆で結ばれていた。なぜ両者はお互い惹かれあったのか? かつて歴史ファンを虜にし、全盛期には10万部を超える発行部数を誇った『歴史読本』(2015年休刊)。同誌の元編集者で、歴史書籍編集プロダクション「三猿舎」代表を務める安田清人氏が、読み解く。 * * * 父信秀の死によって、尾張の織田一族は分裂と動揺の渦中におかれることになる。織田信長は、弾正忠家を継承したとたんに、大ピンチを迎えたことになる。 こうした状況を脱することができたのは、美濃の斎藤道三との友好・同盟関係があったからだと考えられている。 天文17年(1548)、まだ健在だった信秀は、道三の娘帰蝶と嫡男信長との縁組みを実現していた。信秀と道三は、長年にわたり抗争を繰り返した仇敵であったが、すでに病を得ていた信秀は、自分が死んだ後の信長、そして尾張の行く末を案じ、道三を味方につけておこうと願ったのだろう。 とはいえ、下剋上の権化ともいわれる斎藤道三が、自らに利のない同盟に応じるはずもない。そして、いくら娘婿とはいえ、何も得るものもなく信長を全面支援するわけもない。どうやら道三は、信長の「人物」を高く評価し、同盟関係を結ぶことに積極的な意義を見出していたらしい。 そのきっかけとしてよく語られるのが、道三と信長の「会見」だ。時期については天文21年説と22年説があるが、二人は尾張の北端に位置する富田という場所にあった聖徳寺で会見したという。この場所は尾張・美濃の国境に近く、かつては両国の守護から税金を免除される、いわゆる「アジール」(権力が介入できない聖域)だった。二人が会見する場所にふさわしい土地柄だ。

二人の会見については、以下のようなストーリーが語られている。 道三は、前もって信長の姿を確認するため、道筋の小さな小屋から、こっそり信長の一行を盗み見した。すると、信長は袴もはかず、荒縄を腰に巻いて、茶筅髷を結っていたという。茶筅髷とは、前髪は残して月代は剃らず、後頭部の髪を紐で巻いて髷にし、毛先を茶筅のように散らしたスタイルだ。かなり「パンク」ないでたちだ。

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