時の鐘が鳴る場所を訪ねる外国人作家による日本紀行文(レビュー)
日が短くなりましたね、という言葉が聞かれる季節となった。初冬の午後五時、街の気配が夏とはすっかり変わるのに驚くが、江戸では季節が巡ると時刻のほうがずらされた。夜明けは卯の刻、日没は酉の刻、正午は午の刻。著者はこの考え方に魅了されて時の鐘が撞かれた場所を訪ね、いまの時刻に変わって生じた時空の亀裂を縫いあわせていく。 江戸で最初に時の鐘が撞かれたのはなんと小伝馬町の牢屋敷だった。そこを皮切りに浅草、赤坂、目白、と円を描くように十箇所を巡るが、鐘は残っていたり、いなかったり。 上野では寛永寺を訪ね、上野戦争の話を聞き、いまも彰義隊の兵士を供養する法要が営まれているのを知る。法要をやめることはないのか、つづけるのは義務だからか、と率直な問いをぶつける彼女に僧侶は答える。彰義隊の子孫が絶えても、寛永寺があるかぎりつづくのだと。 また同じ上野にいまも鐘を鳴らしつづける人がいるのを知り、会いに行く。撞き方は祖父から教わったと言うので、小さい頃から鐘を撞く人になりたかったのですか、と問うと、ぜんぜん、と彼は大まじめな顔で返す。一日に何回も撞くから外出もままならない。そんな現代社会と隔絶した務めをこの東京で引き継いでいる人がいるのだ。 各章の終わりには、いまはない青山の大坊珈琲店の様子が描かれ、いい効果をあげている。一歩足を踏み入れれば薄明かりのなかに別世界があり、一杯のコーヒーがこれ以上ないほど丁寧に淹れられる。この日本独自のコーヒー文化を担ってきた主人の佇まい、彼との静かな会話は、激しく変貌する東京において時間はただ流れるのではなく、複雑な層を成しているのを暗示する。 日本に十年程暮らし、今はイギリスにいる著者の視線は、日本の書き手とは異なる文体と相まって、見知らぬ街を散策しているような感覚を最後まで途切れさせなかった。 [レビュアー]大竹昭子(作家) おおたけあきこ1950年東京生まれ。作家。小説、エッセイ、批評など、ジャンルを横断して執筆。小説に『図鑑少年』『随時見学可』『鼠京トーキョー』、写真関係に『彼らが写真を手にした切実さを』『ニューヨーク1980』『出来事と写真』(共著)など。朝日新聞書評委員。朗読イベント「カタリココ」を開催中。[→]大竹昭子のカタリココ 新潮社 週刊新潮 2020年12月3日号 掲載
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