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戦争末期に築かれた砲台…無数のひび割れに感じる時の流れ

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西日本新聞

 青い橘湾を見下ろす。海沿いの県道201号。長崎県雲仙市千々石町から小浜町に車で向かう。狭く、離合に気遣う道は、戦前、単線の「雲仙鉄道」(愛野-小浜間、約17・3キロ)が走った。1938年の廃線後は線路が撤去され、道路として地域の交通を支えてきた。 【写真】トンネル内壁の補修跡。砲台に通じる横穴をふさいだとみられる  最初のトンネルに入って15メートルほど進む。ゴツゴツとした武骨な壁。右側の一部(幅約4メートル、高さ約2・5メートル)が滑らかなのに気付いた。  実はこの外側に千々石砲台跡がある。海に臨む急斜面に砲台を据えるため、アーチ状の内壁から岩盤をうがち、横穴を作ったのだ。戦後、内壁の穴はふさがれた。「ここが補修跡とみられます。道路から弾薬や物資を補給したんでしょう」。地元の歴史に詳しい元市職員の鈴木剛さん(72)が教えてくれた。

 入り口に引き返し、歩いて海側に回る。正面に砲台跡が見えた。野砲が据え付けられ、兵士たちが身を潜めた横穴は、奥行き十数メートル。幅と高さはそれぞれ6メートルほどか。砲口は海ではなく千々石海岸に向けられていた。「戦争末期、米軍の本土上陸に備え、橘湾沿岸の高台に多くの砲台が築かれました」と鈴木さん。暗い灰色の岩肌に無数のひび割れが走る。敗戦から75年の時の流れを感じる。  トンネルに戻る。通り抜けると、鮮やかな新緑が頭上を覆う「緑のトンネル」があった。映画のロケ地にもなった穴場だ。木漏れ日がまぶしい。5分間ほどのドライブで戦前、戦中、戦後を駆け抜けたような気分に浸れた。 (真弓一夫)       ◇  記者が県内各地の戦跡をたどり、戦後75年の今の姿を報告します。 ※記事・写真は2020年04月30日時点のものです

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