取り残されて…北朝鮮の炭鉱支える韓国兵捕虜とその家族
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【12月30日 AFP】朝鮮戦争(Korean War、1950~53年)が休戦を迎えるわずか13日前、韓国兵だったイ・ソンウ(Lee Sun-Woo)さんは捕らえられた。その後30年以上、北朝鮮の炭鉱で苦役に就くが、同胞数千人も似た運命をたどった。 北朝鮮側は休戦後、推定5万人の韓国兵捕虜の返還を拒んだが、イさんもその一人だ。捕虜らは炭鉱や建設現場、工場で労働を強いられた。3年前、経済制裁で輸出が停止するまで、炭鉱は北朝鮮の主要な資金源だった。 元韓国兵捕虜が話題に上ったのは今年6月。韓国の法廷が北朝鮮と金正恩(キム・ジョンウン、Kim Jong Un)朝鮮労働党委員長に、元捕虜2人の数十年にわたる強制労働に対する賠償金を支払うよう命ずる画期的な判決を下した。 ■奴隷として35年 朝鮮戦争休戦前最後の激戦で、イさんの乗った戦車が爆破され、指3本が吹き飛んだ。24歳だった。 「35年間、一つの炭鉱で汗水流した」とAFPに語ったイさんは、現在90歳。地元の女性を妻に迎え、子どもたちも生まれたが、配給を得るために病気のときでも「奴隷」のように働いた。子どもたちには父親の後を継ぐ選択肢しかない。 「韓国兵の捕虜ほど惨めなものはない」と涙ぐむイさん。「自分の子どもたちにも恨まれる」 定年退職後、命を懸けても帰国する価値があると決心。すでに77歳だった。イさんと息子一人は、中国との国境に近い家を捨て、川を泳いで越境した。 韓国へ亡命後、自分が公式に死亡扱いされていたことを知った。全ての残留捕虜が戦死者として分類されていたのだ。 ■身分階層制 数十万の兵士が戦争中、現在の非武装地帯(DMZ)の両側で捕虜となった。 ジュネーブ条約(Geneva Convention)は、全ての捕虜の戦闘行為終了後の返還を義務付けている。しかし、北朝鮮側が韓国に戻したのはわずか8343人。2014年の国連人権報告書は、少なくとも5万人の韓国兵捕虜が休戦後北に残り、およそ500人が存命中としている。 南北首脳会談が5回開かれたものの、捕虜の帰還は優先事項とされなかった。 北朝鮮の住民は、その出自により身分が3階層に分類される。忠誠度の高い「核心」、「動揺」、そして「敵対」階層だ。米国の「傀儡(かいらい)」政権の元兵士として、戦争捕虜の地位は最底辺。この烙印(らくいん)は子孫代々引き継がれる。 「北朝鮮の採掘産業で、世代をまたぐ強制労働を見受ける」と、脱北者の証言を集めるソウル拠点のNGO、北朝鮮人権市民連合(Citizens Alliance for North Korean Human Rights)のヨアンナ・ホサニャク(Joanna Hosaniak)氏は語る。「捕虜の子や孫は、採掘地帯で暮らし、働くことを強いられているからだ」 捕虜のうち半数だけに子どもや孫がいるとして、少なくとも6万から10万人が影響下にあると同氏は推計する。 6月の裁判は、2人の元捕虜に対しそれぞれ2100万ウォン(約200万円)を支払うよう北朝鮮に命じた。原告の一人ハンさん(姓のみ公表)は炭鉱で40年間労働したが、この金額は1年あたり5万円に満たない。南北朝鮮に国交はなく、北側がこの判決を受け入れる可能性はない。 ハンさんは、支払いは無意味と言う。「あの時間を金に換算するなんてできない」 ■「共和国の胸に抱かれ」 「真の人権擁護」を掲げるが、国際社会から人権侵害を訴えられている北朝鮮は、休戦協定に従い全ての捕虜を送還したと言い切る。残っている捕虜がいるとすれば、「共和国(北朝鮮)の胸に抱かれ続ける」ことを希望しているから、と説く当局者もいる。 元捕虜のイさんは、韓国政府の無為無策を責める。「自分は戻れたが、まだまだ帰れない人がたくさんいるのだ」 映像は7月に取材したもの。(c)AFPBB News