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「三島由紀夫がいかに生きたのか…」ドキュメンタリー映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」監督&プロデューサー対談

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TOKYO FM+

禁酒法の時代に、こっそり営業していたBAR「SPEAKEASY」。2020年の東京の街にも、そんなひそかなBARがありました。月曜から木曜の深夜1時にオープンする“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。各界の大物ゲストが訪れ、ここでしか話せないトークを展開するとか、しないとか……。 TOKYO FMの番組「TOKYO SPEAKEASY」7月22日(水)のお客様は、現在公開中のドキュメンタリー映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」の豊島圭介監督と刀根鉄太プロデューサー。ここでは、映画製作前後でイメージが変わった“三島由紀夫”という人物像について語りました。

▼映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」の解説▼

1969年5月13日に東京大学 駒場キャンパス 900番教室でおこなわれた、作家・三島由紀夫と東大全共闘との“伝説の討論会”を軸に構成したドキュメンタリー映画。2019年に発見された当時の記録映像を修復し、関係者やジャーナリストらの証言を交えて全貌が明らかになる。ナレーションは東出昌大が担当。 *  *  *

豊島:三島由紀夫と聞くと、市ヶ谷駐屯地で自衛官・約1,000人の前で演説をして誰にも聞き入れられず、そのまま「天皇陛下万歳!」と言って「楯の会」のメンバーと一緒に割腹して自死した、“ちょっと奇妙な作家”という印象が強いわけですよ。それで、三島の映像は市ヶ谷の映像の印象しかない。 右翼思想に極端に傾いてしまった元文豪みたいなイメージが強かったと思うのですが、この映画を作るにあたって、三島由紀夫のことを調べると、一体どれだけの顔を持つ人間なんだろうと。小説家であり、ノーベル文学賞を川端康成と争ったり。一方でボディービルをして肉体を鍛えたり、写真集の被写体になってみたり、俳優をやってみたり。 刀根:そんな人はいないですもんね。ノーベル文学賞の候補になって、ヤクザ映画の主演もやれば、戯曲も書く。 豊島:三島由紀夫は、青年週刊誌「平凡パンチ」の読者投票「オール日本ミスター・ダンディ」で、三船敏郎や石原慎太郎、加山雄三など名だたる俳優たちを抑えて1位になったことも。そういう、ある種のサブカルチャーとかポップカルチャーの世界でも、ものすごく支持されていたことを僕は知らなかったんです。 三島が割腹自殺をした1970年11月25日、当時物心がついていた人たちにとって、三島の死は相当なインパクトだったわけですよね。 刀根:(三島が自死する約1年半前におこなわれた)この討論会でも、実はそれを匂わす発言をしていますが、誰も本当に死ぬとは思っていなかった。 豊島:現場の写真が朝日新聞に載ってしまったり、相当インパクトのあった事件だったわけです。当時を知っている人たちにとって、三島の死は巨大な謎として現れて、どうしても解釈したくなる。三島はなぜ死んだのか、三島をどうやって自分のなかで消化していこうか……と。 我々は、その時代を生きていないので、もう少しフラットな目線で見れる。それで、刀根さんが最初に気付いたんですけど「討論会の映像に映る三島が、異様に輝いて見える」「目も爛々としているし、ものすごく生き生きしている」と。そこにフォーカスを当てられないだろうかというのが、刀根さんの最初のプレゼンでした。 この討論会を描くにあたって、最初は“三島の死は切っても切り離せないことだよな”と思っていたのですが、刀根さんの話を受けて、“三島の死は1,000人が1,000の解釈をして、各々の答えがあるだろう”と。 なので、このドキュメンタリー映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」は、三島はなぜ死んだかを描くドキュメンタリーではなく、三島がいかに生きたのかということにフォーカスしたドキュメンタリーにしていこうと。 当時の三島を知っていた「平凡パンチ」編集者・椎根和(しいね・やまと)さんや瀬戸内寂聴さんなどいろんな方々に、いかに三島が生き生きと生きていたかというエピソードを聞きましたね。 (TOKYO FMの番組「TOKYO SPEAKEASY」7月22日(水)放送より)

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