実は壮絶人生。マライア・キャリーの回顧録からわかった事実
クリスマスの歌姫、マライア・キャリー。いつも美しい歌声でみんなをハッピーな気持ちにさせてくれるけれど、その人生は楽なものでも順風満帆でもなかった。9月に出版した回顧録『The Meaning of Mariah Carey』には壮絶な生い立ちと結婚生活が綴られている。「私が今の姿になるまでの過程で重要な意味を持つ経験、人だけを書いた」というこの本からわかった事実を大公開。 【写真】クリスマスの女王! マライア・キャリーの人生を辿るフォトアルバム
家庭内暴力を経験していた
「よちよちと歩けるようになるまでに、私は暴力をかぎ取る本能を身につけていた」と綴っているマライア。「大人の叫び声を聞いたとき、その声がどの程度の高さになったら避難すべきかを判断することができた。まるで雨の匂いを感じとるように」と子ども時代を振り返っている。暴力を振るっていたのは彼女の兄。母親の顔を壁に叩きつけたときには「本物の銃声のような音がした」と壮絶な体験を告白している。6歳のときには家族の友達に「お母さんが殴られてる。助けて」と助けを求めたこともあるという。 (写真は兄のモーガンと)
父や先生から人種差別を受けていた
アフリカ系の父アルフレッドと白人の母パトリシアを持つマライア。バイレイシャルとしてアフリカ系と白人の両方から差別を受けてきたという。なんと友達だけではなく、親や先生たちからも! 4歳のとき、家族みんなの絵を書いていると父アルフレッドは彼女に茶色のクレヨンを投げつけ、黒い肌ではないことを理由にいじめた。また彼女の父がアフリカ系であることを知らなかった先生たちは、彼女の描いた絵を見て「使う色が間違っている」と笑いものにしたという。「先生たちは私の肌が明るい茶であることや丸っこい鼻、カーリーヘアが父親から遺伝したものだと考えることも想像することもしなかった」。
祖母は白人に近い彼女だけをかわいがった
パトリシアの母アン(つまりマライアの祖母)は娘とアフリカ系の男との結婚を認めず、パトリシアとの関係を絶った。しかし2人はその後和解、パトリシアはアンの家を訪れるようになった。アンは3人いる孫のうち、マライアだけを家に連れてきていいと言っていた。「なぜ私だけが招待されるのかわからなかった。振り返ってみれば、それは私の肌の色がバイレイシャルにしては白くて、髪もブロンドっぽかったからだと思う」。ルックスが白人に近かったことで大切にされたこと、マライアはこれももう1つの人種差別体験として綴っている。
姉に売り飛ばされそうになった
兄の暴力や父からの差別を経験したマライア。姉も味方にはなってくれなかった。「12歳のとき、姉から精神安定剤を盛られた。小指の爪くらいの量のコカインを吸えと言われた。熱い紅茶を投げつけてIII度のヤケドを負わされたことも、売春宿に売られそうになったこともある」。