「パソコンは鞄みたい」の名言も…小倉智昭さん死去、PC情報番組の草分けで「エラーマン」と呼ばれた時代思い出し涙する声続出
12月9日、タレントの小倉智昭さんが亡くなった。77歳だった。 小倉さんは、2016年に膀胱がんを患ったことを公表。2018年には膀胱全摘手術をおこなうも、2021年10月には肺転移が見つかった。2023年10月には腎盂がんと診断されるなど、長らくがんとの闘いが続いていた。12月4日、病院で治療の手立てがないとの宣告をうけ、6日から自宅に戻って妻の看病のもと過ごしていたという。 【写真あり】『とくダネ!』で小倉智昭さんに“仰天エピソード”を語ったお笑いタレント 小倉さんは、1970年に東京12チャンネル(現・テレビ東京)へ入社し、競馬実況で頭角を現した。1977年に独立し、フリーアナウンサーとして数々のラジオ・テレビ番組に出演。なかでも、1999年4月にスタートした『とくダネ!』(フジテレビ系)ではメインキャスターを務め、軽快なオープニングトークが名物に。番組を卒業する2021年までの22年間、フジテレビの“朝の顔”であり続けた。 多くの人々にとっては『とくダネ!』の印象が強い小倉さんだが、1982年から1989年まで続いた番組『パソコンサンデー』(テレビ東京系)での司会姿を思い返す声も多い。 「当時は、NEC・富士通・シャープなどが次々と新作シリーズを発表し、パソコンブームが起き始めた時代でした。そのなかで始まった『パソコンサンデー』は、毎週日曜の朝に放送されていた番組で、パソコンソフトの使い方講座や、ゲームで使える技などを解説するという、パソコン情報番組の草分け的存在でした。まだ一部のマニア向けのものだったパソコンをメインに取り扱う番組は珍しく、副音声でプログラムデータを音声配信するという、意欲的な取り組みも話題を集めました。 当初は、『Dr.パソコン』と呼ばれた宮永好道氏がプログラムの使い方を教え、小倉さんはエラーを出しては修正する、というやり取りがみられ、小倉さんには『エラーマン』のあだ名がついたことも。一時期は降板していたのですが、その後、復帰し、番組の最後まで司会を務めました」(芸能記者) Xでは、『パソコンサンデー』がトレンド入りし、「エラーマン」をしのぶ声が続々と寄せられている。 《小倉智昭さんと言えば、とくダネ!のイメージかも知れないが、ワシはパソコンサンデーが楽しみだった。当時、家に金がなく、パソコンなんて買えないのに毎回見ていたのを思い出した。》 《物心ついた頃からパソコンをいじってた私にとって、小倉智昭さんはとくダネより「パソコンサンデー」のイメージのほうが強いです 毎週日曜日に欠かさず見て、小倉さんと一緒にBASICを学びました ゲームソフトなんて小学生の小遣いじゃそうそう買えないので、無料で見て学べる貴重な番組でした 合掌》 《小倉さんっていったらパソコンサンデーのエラーマンよな。コンピューターに触ったまさに第一歩目。》 小倉さんの流れるように軽快なトークは、当時から健在だった。小倉さんは、番組の最終回で、こう語っている。 「いまほんと、パソコンは鞄みたいに持ち歩ける時代になったじゃない。いまは与えられたソフトを鞄のなかに入れて持ち歩けば、どんなふうにも使えるし、人によって使い方が違うと思うんですね。僕はこれからも鞄のなかに好きなものをどんどん入れていこうと思うし、高橋(雄一・パソコン評論家)さんは鞄本体を作ってくれたり、鞄のなかに入れやすいように仕切りを作ってくれるかも。山下(章・パソコンゲーム評論家)さんは、これからはゲームソフトを作るほうになっていくんじゃないかと思うんだよね。そうなると、鞄のなかに入っているおもしろい文庫本をつくる人になるんじゃないかな。 人それぞれによって、パソコンの秘めている可能性は違うし、楽しみ方も違うんじゃないかな、というのが僕の8年のまとめみたいなもの。番組が終わっても、パソコン通信やったら、もっと輪が広がりますからね」 『パソコンサンデー』を見て、ITの道に進んだという人の声も多く聞こえてくる。小倉さんがつないだ輪は、いまも広がり続けている。