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柳田国男「後狩詞記」民俗学を生んだ 山の神との出会い【あの名作その時代シリーズ】

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西日本新聞
柳田国男「後狩詞記」民俗学を生んだ 山の神との出会い【あの名作その時代シリーズ】

印象深い獲物の「カマゲタ」(イノシシの下あごの骨)を手に猟のしきたりを語る尾前善則さん=宮崎県椎葉村

 「あの名作その時代」は、九州を舞台とした作品、または九州人が書いた著作で、次代に残すべき100冊を選び、著者像や時代背景、今日的な意味を考えながら紹介するシリーズです。西日本新聞で「九州の100冊」(2006~08年)として連載したもので、この記事は06年9月24日付のものです。 **********  「ここの山の神はですなあ、ふだんは恵みを与える優しい女の神さまですが、怒ると荒ぶる神さまでなあ」  急峻(きゅうしゅん)な山に囲まれた宮崎県椎葉村。ここで農業を営んできた中瀬重利さん(77)は谷あいを見渡し、ごく当たり前に言う。路線バスで日向市から二時間半。台風被害のつめ跡残る耳川を横目に、離合も難しい道を上がってきた身には、自然に受け止められた。  いまから百年ほど前、柳田国男はこの村を訪れ、焼畑や狩りの伝承と習俗を見聞きし「後狩詞記(のちのかりことばのき)」を編んだ。  今も焼畑や狩猟の伝統を守る村人は「山の神」を祭る。旧暦の一月と五月と九月の十六日、大木の根元などに御幣(ごへい)を立て、塩やお神酒などを供える。  五十年以上、夫婦で焼畑を続ける椎葉秀行さん(84)、クニ子さん(83)は、今年も八月に焼畑の「火入れ」をした。山の雑木を倒し、下草に火を放ち、その灰を肥料に雑穀を栽培する。一年目はソバ、二年目はヒエ、アワ、三年目はアズキ、四年目は大豆を育てる。ソバは「七十五日で夕飯に間に合う」と重宝した。とはいえ水稲農業や畑作が主流となったいま、焼畑を伝える農家は村に二軒しかない。息子さんの手を借り、拓(ひら)いた焼畑は〇・五ヘクタールほど。ソバの白い花が一面に咲いていた。火入れではこう唱える。  「ただいまより、このヤボ(やぶ)に火を入れ申す。へび、わくどう(カエル)、虫けらども、そうそうに立ち退きたまえ。火の余らぬよう、焼け残りのないよう、お守りやってたもーれ」

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