【F1】王者になった唯一のV12……アイルトン・セナ&マクラーレン・ホンダMP4/6の物語(後編)
多くのF1ファンは、V12エンジンに今も幻想を抱いている。しかし実は、V12エンジンを駆るドライバーがチャンピオンを獲得したのは、過去ひとりだけ。1991年にマクラーレンMP4/6・ホンダを走らせたアイルトン・セナだけだ。 美しきF1マシン:伝説のモナコGP&最後のホンダV12……セナが魅せたマクラーレンMP4/7A その1991年シーズン、フェラーリは開幕前のテストで不気味な速さを示していた。しかしいざシーズンが開幕すると、新車642のパフォーマンスは期待されたほどのものではなく、シーズン後半にはさらなるニューマシン643を投入するに至った。 マクラーレンにとって最大の敵はウイリアムズだった。彼らはエイドリアン・ニューウェイが設計したFW14に、ルノーの新しいV10エンジンRS3を搭載。優れたエアロダイナミクスとバランスに優れたエンジン、そしてセミオートマチックギヤボックスなどのハイテクデバイスを組み合わせ、速さを見せた。ただ初期トラブルが頻発し、シーズン序盤はナイジェル・マンセルとリカルド・パトレーゼの足を引っ張った。 結果としてセナは、開幕4連勝。これには、ブラジルでの自身初の母国優勝も含まれていた。最後マシンはギヤボックスのトラブルに見舞われ、6速にスタックしてしまっていた。そんな状況でレースを走り切ったセナは体力を使い果たし、表彰台でトロフィーを掲げるのも身体中の力を振り絞らねばならなかった。
■強さをますウイリアムズFW14+ナイジェル・マンセル
ただ、シーズンが進むに連れてウイリアムズ+マンセルの勢いは増しつつあった。第5戦カナダGPでは、そのマンセルが終始レースをリード。ただ、最終ラップで観客の声援に応え手を振った際にマシンのキルスイッチを誤って押してしまったことでリタイア……貴重な10ポイント(当時は優勝ドライバーには10ポイントが加算されるシステムだった)を失った。ただ、セナに力関係が変わっていることを知らしめるには十分だった。 「ウイリアムズは、今では確かにとても速い」 セナは当時、記者団にそう語った。 「リズムを維持するのはとても難しい。ホンダはエンジンの改良に一生懸命取り組んでいるが、ウイリアムズのシャシーは僕らのシャシーよりもはるかに優れている。新しいアイテムを手にできなければ、問題が生じるだろう」 続くメキシコGPでは、セナの不安はますます顕著になった。予選ではウイリアムズ勢の速さについていけず、ダウンフォースを減らしたMP4/6はバランスを崩してしまう。そしてコースオフした際に転倒。真っ逆さまになってグラベルにストップしてしまった。 それでも3番グリッドからスタートしたセナだったが、決勝ではウイリアムズにまったく歯が立たず、パトレーゼ&マンセルに57秒もの差をつけられて敗れてしまう。セナは当時、ホンダの安岡章雅プロジェクトリーダーに対し「君たちは僕のチャンピオンシップを奪っている」と語ったと言われている。 しかしシェルが特殊燃料を開発、シルバーストンで前述のバージョン3エンジンが投入されたことで、RA121Eは14100rpmを超え、本来のパワー”720bhp”を発揮できるようになった。ただこの新しい燃料は、コクピットで燃料の残量を正確に把握するのが難しく、セナはシルバーストンやホッケンハイムで燃料を使い果たしてしまった。そしてその間、ウイリアムズは着実に進歩を遂げていた。