名門・東福岡は、なぜ復活したか? 史上最弱メンバーの決勝への軌跡
突出した個の力をもつ選手はいないかもしれない。それでも、国内でも最大規模となる280人を数える大所帯を勝ち抜き、トップチームに名前を連ねる選手たちは何かしらの武器をもっている。いま現在の3年生は、反骨心を共有してきたなかで育まれた「まとまり」だった。 加えて、中村たちが入学する直前に、東福岡がテクニックを最も重視する従来の方針を180度変えたこともプラスに作用した。全国の舞台でベスト8が最高位止まりだった現実を受け入れて、志波総監督や森重監督は徹底したフィジカルトレーニングをメニューに加える決断を下した。 上手いだけではなく、走って、走り抜きながら戦える上手い選手へ。もともと九州やその近隣地域を代表するホープたちが、「たくましさ」という鎧を身につけた結果が、2014年に手にした17年ぶりのインターハイ制覇だった。 昨夏のインターハイも制し、先輩たちの代に続いた中村もフィジカルには絶対の自信を見せる。 「3年間積み重ねてきた走りというものは、本当に生きていると思います。夏(のインターハイ)は制覇しましたけど、やっぱりそれだけじゃ満足できませんよね」 11日の決勝の相手は國學院久我山。いまも語り継がれる雪中決戦を制し、初めて全国の頂点に立ったときの相手も同じ東京代表の帝京だった。そして、その1997年度に産声をあげたのが、中村たち3年生の代となる。実際に決勝戦進出を果たしたいま、中村は不思議な縁というものを感じている。 「自分たちが優勝することによって、運命というものができあがると思う。優勝を果たせなかった先輩たちの無念さも託されて僕たちは決勝の舞台に立つので。そういう思いをしっかりと受け止めて勝ちたい」 いまでは、さすがに「史上最弱」と呼ばれなくなったが、それでも練習中には「下手クソ」という言葉が飛ぶ。星稜戦を翌日に控えた練習でも然り。2003年度の国見(長崎)以来となる、夏と冬の二冠という偉業を達成したときに、中村たちが3年近く抱いてきた目標が成就。東福岡の歴史に新たな1ページが刻まれる。 (文責・藤江直人/スポーツライター)