名門・東福岡は、なぜ復活したか? 史上最弱メンバーの決勝への軌跡
ひとつ上の世代には、横浜F・マリノスでプレーするMF中島賢星や、ヴィッセル神戸のMF増山朝陽がいた。中村自身も「確かに上の世代はすごすぎた」と差があったことは認めるが、何度も面と向かって言われていい気分になるはずがない。 「最弱と呼ばれてきたことへの反骨心というものが、自分たちを動かしていると思う。本山さんたちの世代を見ている分、物足りない部分はあると思うんですけど。それでも本当に悔しかったし、3年生になったら絶対に見返してやる、絶対に負けてなるものか、という強い気持ちでやってきたので」 果たして、最上級生となった昨年4月。依然として不本意なレッテルが貼られていた彼らは、決定的な黒星を味わわされる。プレミアリーグウエストのセレッソ大阪U‐18戦で喫した1対6の大敗。首脳陣から厳しい言葉を投げかけられるなかで、中村を中心とする選手たちが自主的にミーティングを開催した。 「どうやったら勝てるのか、自分たちで考えて練習するようにと(首脳陣から)言われたこともありますけど、自分たちも意識を変えなきゃいけないと自覚したので。それまでも(選手だけの)ミーティングは開いていましたけど、試合や練習のいいところと悪いところをあげて、まとめて終わりという感じでした。あのときはお互いに要求して、ときには『こう動いたらここへボールをくれ』と言い合いながら、自分たちが進む方向性というものを自分たちで導き出せた。変わり目になったミーティングだったと思います」 ハードワークを土台に、ボールを奪った後はサイドを幅広く使いながら相手ゴール前へ攻め込む。紡がれてきた伝統のスタイルをあらためて身に染み込ませるうえで、「最弱」と呼ばれ続けたことがプラスに作用することもあったと中村は明かす。 「最弱と呼ばれた自分たちは、力を過信することなくずっとやってきた。そういう謙虚な姿勢というものも、いまの自分たちを動かしていると思う。今年は個性派と呼ばれる選手が例年に比べて少ないと思うし、その意味ではチームをまめとめるうえで、歴代のキャプテンが味わってきた苦労をしなかったのかなと」