失われた地層によるタイムスリップ? カンブリア初期動物の爆発的進化の真否
進化史におけるタイムスリップへの対応
私が一自然科学研究者としてこのグレート不整合における一連のストーリーに強く惹きつけられる主な理由は、「グレート不整合」と(冒頭に紹介した)「カンブリア爆発」──この両者の関連性だ。そして1億年近くに及ぶ失われた化石記録という大きな壁に、研究者はどのように立ち向かえばいいのだろうか? この素朴な問いかけが気になってしかたがない。 改めて断るまでもなく、1億年という期間は生物進化において非常に長い時間だ。例えば現在から1億年という時間をさかのぼってみると、白亜紀前期の恐竜たちが栄華を極めていた時代にあたる。現在の生物相とかなり大きな違いがある事実を是非イメージしていただきたい。 先カンブリア代後期のこの長い空白の間に、何か未知なる斬新な生物進化上の革新や一大事件が起こったとしてもおかしくない。生物の多細胞化など「何か起こったはずだ」と仮定しておいたほうが、つじつまが合うような気さえする。 生物の進化史におけるカンブリア爆発とは事実だったのだろか? 急激に見えるその進化プロセスは単なる錯覚、またはグレート不整合によって生み出された「タイムスリップ」による幻想なのではないのだろうか? グレート不整合のように非常に限られたデータや断片的な偏った証拠しか手元にない──こうしたかなり不都合な制約のもとで、推理を働かせる(または結論を導く)必要のあるケースは、ミステリーやサスペンス映画ではおなじみだろう。自然科学の分野で研究を行う時も日常茶飯事のようだ。化石研究においても先カンブリア代など特に古い時代のものほど、研究の材料となるデータの量と質が減る(下がる)傾向がある。 グレート不整合によって失われた膨大な量の化石・岩石記録。こうした「バイアス(bias)」の強くかかったデータ(=「非常に偏った証拠」または「先入観や思い込みが深く関わっているアイデア」の意)に、我々はどのようにアプローチすればいいのだろうか? 大まかに以下に記す三つのアプローチで解決策をみいだすことができるかもしれない。これは、ミシガン大学の古生物学者Daniel Fisher教授の古生物学の講義の中で私が耳にした、興味深い哲学的な考察を私なりに解釈したものである。 その1.達観法(しょーがないと開き直る):失われた1億年分の記録はもう手に入らないものとして断腸の思いであきらめる(ないものは仕方がないではないか)。このアプローチは問題点がどこにあるのかはっきり理解することが前提となる。そのため厳密には「無知」とは異なる。カンブリア爆発というコンセプトはクエスチョンマーク付きで、これまで通り残しておくことができるかもしれない。 その2.挑戦法(あくまで挑む・たたかう):グレート不整合の期間にあたる地層が世界のどこかに存在している可能性はないだろうか? ターゲットを明確に定めて徹底的に探求する。可能性がありそうな時代に当たるとおもわれる地層から見つかった化石や岩石の研究(オーストラリア南部やアラビア半島のオマーン等)に関する論文を2、3みかけた。こうした断片的なデータをせっせとできる限りかき集めることによって、空白期間の全体像をおぼろげでもつかめるかもしれない。 その3.臨機応変法(何とか他の道を工夫する):現生動物から採取したmDNAをもとに分子時計などの手法を用いて、最古の動物が現れた時代を算出することができるかもしれない。現生種の発生(成長)プロセスや解剖学上の形態の詳細な研究から、遠い祖先の姿を考察することもできないだろうか。 こうしたやや哲学的考察(考え方のまとめ)を「どうしてここでわざわざ取り上げる必要があるのか」と問われれば、私には返す言葉もない。筆者の「個人的な思い入れ」に過ぎないのではないかと言われれば、おそらくその通りだろう(ここにもしっかりとバイアスが働いているようだ)。 しかし地球や生物の長大な歴史に接する時に、こうしたことを少しの間だけでも考えてみるのは悪くないかもしれない。このバイアスに関する考察は、化石研究だけでなくサイエンス全般においても重要なはずだ。そしてこうした考え方を改めてまとめてみることは、日常生活においても何かしら役に立つことがあるかもしれない(ないかもしれない)。 先カンブリア代とカンブリア紀の境界にあたる時期に関する研究は、こうした大きなミステリーを含んでいるため、最近ますます研究が活発になってきている傾向があるようだ。例えばこの記事を書いている最中にも以下の興味深い論文(1月29日付)を見かけた。 Lennart M. van Maldegem, Pierre Sansjofre, Johan W. H. Weijers, et al. (2019) Bisnorgammacerane traces predatory pressure and the persistent rise of algal ecosystems after Snowball Earth. Nature Communications 10,Article number:476 細かい内容はあえて省かせていただく。しかしスノーボール・アース時代の直後に真核細胞をもつ生物が出現した可能性に迫っていて非常に興味深い。それにしてもどうして生物は地球史上最大級の氷河時代を生き延びることができたのだろうか? まだまだ解明されていない謎がたくさん潜んでいるのは間違いない。今後の研究の成果に期待したい。