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光秀ゆかりの地、兵庫・丹波篠⼭を巡る(6)戦国時代には本陣がおかれた福住の昔と今

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 明智光秀ゆかりの地として注⽬される兵庫・丹波について、歴史をはじめ多⾯的に取り上げる『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』(ラジオ関⻄)。シリーズでお送りしている明智光秀ゆかりの丹波篠⼭を巡る旅について、9⽉3⽇放送回では、前回に引き続き、福住地区まちづくり協議会顧問の佐々⽊幹夫さんにお話をうかがいながら、古い町並みが残る丹波篠⼭市の福住地区を探訪しました。番組パーソナリティーは、「兵庫・神⼾のヒストリアン」として活躍する⽥辺眞⼈・園⽥学園⼥⼦⼤学名誉教授と、久保直⼦です。 ◆古くから人々が住み、本陣もあった福住  福住は、⼟地が肥えていて、“幸せが住む”福住といわれたり、古くは⼭の名前で、「桂」といわれたことも。その桂山と北山の間を、今の国道372号(※丹波篠山では『デカンショ街道』の愛称でも親しまれている)が通っています。この国道372号線は、古くから⾮常に⼤事な交通路で、京都から⻲岡を通って篠⼭盆地に⼊り、ちょうど⼋上のところで⼆股に分かれ、北は⽇本海側を⻄⽇本に⾏く⼭陰道、南は直進して播磨に⼊り姫路まで通じています。その⼭陰道の“駅家(うまや)”が、この福住のすぐ⻄にありました。 「駅⾺という⼋頭ほど⾺を休めさせることのできる場所で、⼩野駅(⼩野駅家)といいました」  延喜式にも(駅家は)⾺が⼋頭常備されていると書かれていますね。さて、古代から、中世の時代になると、交通の要衝は、軍事的にも⼤事な場所になります。この福住の南側、桂⼭の上に、中世の仁⽊城があり、その反対側の北⼭のところに籾井城がありました。戦国時代の終わりに、仁木氏と籾井氏は⼋上の波多野⽒に吸収されていきます。さらに江⼾時代になれば、ここは参勤交代の⼤名が通るという場所になったため、福住には本陣がありました。 「本陣では⼭⽥嘉右衛⾨や荻⽥弥三右衛⾨といった⽅々が宿を担い、当時の⻄園寺公望らが若い頃に泊まられていたということです」  籾井⽒が勢⼒を張っていたころの守りの寺が、(桂峯⼭)如来寺です。この辺のお寺は明智光秀が攻めてきたときに焼かれて、江⼾時代になって世の中が落ち着いてから再建されます。 「住吉神社もこのときと、他の理由とで、⼆度にわたって焼かれましたが、後⽣の⽅が再建しています。最近は住吉神社の庭は重森三玲さんの作庭で話題を呼んでいます(※⻄京街道の整備事業。庭園『住之江の庭』は、兵庫県史跡名勝天然記念物の名勝に指定)」 ◆福住はウエルカム精神が根付く町  なお、この地区は、夏のお祭りも活発です。 「7⽉末には『住吉神社⽔無⽉祭』があり六台の⼭⾞が出ます。福住出⾝の遠⼭宗九郎満直により⼭⾞ごとに独⾃の打込囃⼦が作られました。8⽉末⽇に⾏われる『⼋朔祭』では、各村々で飾り物を毎年⼿作りしていますが、孔雀やいろんな動物など、飾り物は毎年変わっていきます」  福住は、その建物も、昔から残されてきたものが多い場所です。 「街道沿いには伝統的建造物保存地域があり古⺠家が残っています。お店や、⾃宅、⺠家などとして活かされています。そして、空き家として残っている場所には、移住者も増えている状況です。福住の⼈は皆さん優しく親切でウエルカム精神がすでに根付いていますので、安⼼して移住して来ていただける地域になっていると思っています」  佐々⽊さんご⾃⾝は「NPO法⼈SHUKUBA」の理事⻑としても活躍されています。 「3年前に福住⼩学校が閉校になり、その跡地の活⽤委員会ができて、昨年から『NPO法⼈SYUKUBA』として学校(旧福住⼩学校)の活⽤を本格的にやって⾏こうということになりました。すでにカフェやIT関係の⽅がワーキングオフィスとして活用がされています。その他のテナントについては徐々に募集をかけながら、いろいろと思案して進めています」  福住について詳しくは『福住さとねっと』で検索してみてください。フェイスブック、インスタグラムなどでも発信されているそうです。 (構成:久保直子)

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