〈大分県立美術館〉で開催! 竹工芸をアートに昇華した生野祥雲斎の軌跡。
戦後の混乱期は竹工芸家の肩書きもなく、農家として畑を耕しながら創作を再開するが、50年代初頭の日展で落選。これを機に、作風は一変する。1957年に発表した吊り籃《炎》は、ゆるやかに弧を描く櫛目編が底に向かってひねりを加えつつ弧を収束。不規則な曲線を描く縁は、揺れる炎の動きを見事に捉えた。竹工芸の道具としての「用」を脱却し、美術作品としての純粋な造形美を追求する渾身作の誕生だった。 同時期、祥雲斎は「此君亭(しくんてい)」という名の自宅と工房の構築に着手している。そこは、書や骨董を嗜む地元の知識人らが集う場となり、戦後も熱心に全国を廻っていた柳宗悦ら民藝運動のメンバーも来亭。むしろ民藝からの脱却、アートへの道へ舵を切っていた祥雲斎は運動への誘いは断ったものの、親しい交流は続いた。社会の変革期に新しい美を求める機運と情熱を彼らは分かち合ったに違いない。
節目編の効果を生かした《炎》や大型で彫刻的な《虎圏》などの作風の変化を経て、祥雲斎は一転、竹自体の素朴な美しさに集約される作品を作り始める。《白竹投入華籃 行々子》は、網代編と櫛目編を用いながらも、あえてざっくりと不規則な編み上がりがほのかな温かみを宿す。竹の可能性に挑み続けた果てに訪れた、心穏やかで、自然との調和に満ちた晩年の作家の境地を垣間見る想いがする。 数年後、生野祥雲斎は初の重要無形文化財「竹芸」保持者に認定された。「竹を生かす、それが自分を生かす道」。誰も歩んだことのない、ものづくりの孤高の道を歩んだ作家の全貌を、この機会に鑑賞したい。
『生誕120年・没後50年 生野祥雲斎展』
〈大分県立美術館(OPAM)〉設計は坂 茂。大分で育まれてきた竹工芸からヒントを得たファサードで知られる。大分県大分市寿町2-1。TEL 097 533 4500。2024年12月7日~2025年1月23日。10時~19時(金・土~20時)。休展日なし。観覧料 1,000円。
生野祥雲斎(しょうの しょううんさい)
本名:秋平(あきへい)。竹芸家。1904年別府生まれ。1923年に地元の竹細工師、佐藤竹邑齊に師事して伝統技術を習得し、2年で独立。1940年に文展で初入賞。戦争末期に徴兵され、生還。1967年、竹芸の分野で初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。1974年没。
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