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母国の主体性守るため活動、李登輝・元総統 写真特集

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 台湾の民主化を推進したことから「台湾民主化の父」と呼ばれた元総統の李登輝氏が30日、多臓器不全のため死去した。97歳だった。台湾出身者(本省人)として初の総統として「台湾人の新国家」を目指した。台湾の独立性を守るため、退任後も精力的に政治活動を行った生涯を共同通信の記事を基にまとめ、写真で振り返る。(47NEWS編集部)  李氏は日本統治下の1923年、現在の新北市で生まれた。「岩里政男(いわさと・まさお)」という日本名で日本の教育を受け、京都帝国大(現京都大)に入学。在学中に志願兵で軍に入隊し、陸軍少尉として名古屋で終戦を迎えた。  その後、台湾に戻り台湾大を卒業。さらに、米コーネル大で農業経済学博士号を取得した。蔣介石の長男で元総統の蔣経国に見いだされ、農業経済学者から政界入りした。  当時の台湾は、日本による50年間の植民地統治後に中国共産党との内戦に敗れた国民党の蔣介石ら大陸出身者(外省人)が支配する「外来政権」であった。そのあおりを受けて、本省人は人口の大半を占めているにもかかわらず政治上の主役になれずにいた。

 李氏は作家の司馬遼太郎氏との対談で「台湾人として生まれ(ながら)台湾のために何もできない悲哀があった」と口にしている。李氏の原点を象徴している言葉だ。  78年には蔣経国により台北市長に任命される。84年に副総統に就任。88年1月、蔣元総統の死去に伴い副総統から総統に昇格し、同年7月には国民党主席に選出される。すると、本省人総統への期待を追い風に改革を精力的に進めた。  91年には中国共産党を反乱団体と規定した憲法の臨時条項を廃止した。このことで、長らく続いていた中国との内戦状態に事実上の終了を宣言した。  そして、96年に初の総統直接選挙を実現した。このことは「民主国家」として世界の脚光を集めた。  この時の選挙は、李氏の当選阻止を狙う中国がミサイル発射を含む軍事演習を台湾近海で展開するなど異常とも言える状況下で行われた。李氏は見事に当選し、初の民選総統になった。このことから、台湾では「ミスター民主主義」と呼ばれていた。

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