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山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.26「MotoGPでの2勝目は地元のもてぎで!」

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アクシデントがBSを強くした!?

ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、そのタイヤ開発やレースを回想し、今だから話せる裏話も暴露。MotoGPクラス参戦3年目の2004年、第7戦リオGPでブリヂストンは最高峰クラス初優勝、さらに第12戦日本GPで2勝目を挙げます。 【写真】BMWから突如『M1000RR』が登場! バイク初の“M”モデルが誕生した TEXT:Toru TAMIYA

初優勝後のお祝いをしたかどうか、覚えていないのには理由があった

2004年第7戦リオGP(ブラジル)で獲得した、キャメル・ホンダから参戦していた玉田誠選手とブリヂストンにとって初めてのロードレース世界選手権最高峰クラス優勝。その瞬間は、当事者である我々も予想できない状況で突如として訪れましたが、このドラマにはまだ続きがありました。当コラムの第18回で紹介しましたが、玉田選手はレース活動の契約に関して、彼のお母様が代表となっている会社にすべて任せており、そのため2003年シーズンに向けて玉田選手とブリヂストンが契約を結ぶ段階から、私は彼のお母様と契約交渉を含めたさまざまなやり取りをしてきました。 玉田選手の初優勝を見届けてすぐ、私はブラジルから日本へ電話して、「勝ちましたよ!」と、お母様に優勝報告。電話の向こうでは、涙声で「ありがとう、ありがとう……」と繰り返されていました。じつはこのとき、お母様は病気を患って入院していたのですが、テレビで息子の勇姿を観戦するため一時的に帰宅していたようです。そしてそのわずか数日後、お母様は病気により他界されました。

愛する息子の初優勝を見て安心してしまったのかもしれませんが、もしもリオGPで勝利していなければ、玉田選手はお母様に優勝する姿を見せてあげられなかったことになります。そういう意味では、神様がプレゼントしてくれたような1勝でもありました。帰国後、私はお母様の葬儀に出席。その前々日に玉田選手から依頼されて、人生で初めて弔辞を読ませていただきました。前日に葬儀業者の方と打ち合わせをして、夜遅くまで内容を考え抜いて、ホテルで和紙に筆で弔辞を書いた記憶があります。不思議なことに、初優勝後にブリヂストンのスタッフやキャメル・ホンダのチームメンバーとお祝いをしたかどうかはまったく記憶にないのですが、私にとっての2004年リオGPは、この葬儀までがワンパックの出来事でもあったのです。

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