【世界初の量産V6を搭載】ランチア・アウレリアとフラミニア 評価のわかれたクーペ 前編
評価が分かれるアウレリアとフラミリア
text:Martin Buckley(マーティン・バックリー) photo:Olgun Kordal(オルガン・コーダル) translation:Kenji Nakajima(中嶋健治) 高く評価された車種の後継モデルは、ファンから否定的に見られることが少なくない。ランチア・アウレリアB20 GTと、その後継車種にあたるフラミニア・クーペも、そんな関係にある。 【写真】2台のランチア 現代版ストラトスも (44枚) 客観的には全体的に前身より優れていた、1958年登場のフラミニア。しかし、アウレリアのように多くの称賛を集め、広く認められるモデルにはなれなかった。現在のアウレリアB20 GTの取引価格を見れば、その差は今も変わらないようだ。 筆者はこれまでフラミニアを数台所有し、その価値を理解している。しかし、コレクターがアウレリアを珍重し、高い価格で売買する気持ちもわからなくはない。 技術的には、この2台は似通っている。兄弟関係にあるといっても良い。 アウレリアとフラミニアは、いわゆる普通のクルマと、フェラーリやマセラティ、アストン マーティンなどの大型なエキゾチック・クーペとの間に位置するようなモデルだ。一方で、実用的なメルセデス・ベンツやランドローバーなどとも違う。 英国の例でいうなら、6気筒のブリストルが、V6エンジンを積んだランチアとイメージ的には近いかもしれない。目の肥えた人が選ぶような、わかる人にはわかるタイプ。 この頃のランチアには、ドライバーへの訴求力も、技術的な洗練性も備わっている。美しいボディと、機能的な素晴らしさも。見られ方が、大きく異なる以外は。
モータースポーツのイメージが牽引
アウレリアB20 GTには、革新性とモータースポーツでの栄光という物語がそばにある。レーシングドライバーに憧れた多くの人が、少なくない現金を準備して、アウレリアを手に入れた。1950年代の、高性能なスポーツカーだった。 ところがフラミニアには、機会を逸した失敗作というイメージが染み付いている。技術的に古いというイメージや、感心を集めにくいスタイリングが、フラミリアの販売の足を引っ張った。 一方で、ランチアとして最も高い製造品質を備えた時代のモデルだと、考えている人も少なくない。この頃のランチアは、深刻な財政難に苦しんでいた。2台の高い水準とは裏腹に。 1955年、ランチアの経営はランチア家から、カルロ・ペゼンティへと移り変わる。その楽観主義といえる戦略の中で、フラミリアは誕生した。 実際のところ、フラミニアは全面的な改良が加えられていた。技術者のアントニオ・フェシアが手掛けた、不等長のウイッシュボーン・サスペンションをフロントに採用。独立懸架式を採用し続けたランチアとしては、大きな方針転換といえた。 この進化が、熱心なランチア・ファンを遠ざけることになった。スライディング・ピラーと呼ばれる、古いサスペンション構造に執着する気持ちが、フラミニアの否定へとつながった。 魅力がなかったわけではない。先代のイメージを高めたモータースポーツとは違うスタイルとして、1960年代初頭の新しいブランドを提示していた。