限界超えの苦しみか、究極の達成感か 50歳記者が挑んだ160キロのトレイルランニング大会(上)
遊園地は野戦病院
国内最大のトレイルランニングレース「ウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)」が4月22~24日、静岡・山梨両県にまたがるコースで開かれた。新型コロナウイルス感染症の影響で開催は3年ぶりだ。富士山を取り囲む山々を駆け抜ける100マイル(160キロ)の超ロングレース。脚は激痛、眠気に襲われ、メンタルがすり減る。「限界だ」「もうやめよう」と自問自答を繰り返した先に待つのは限界を超える苦しさか、究極の達成感か。50歳の記者が初挑戦した。 UTMF参戦記の動画はこちらから 4月23日午前7時。富士山こどもの国(静岡県富士市)をスタートして15時間、土曜朝の富士急ハイランド(山梨県富士吉田市)にたどり着くと、ぐったりとした選手たちがいた。いすに座り込む者、アスファルトの上で眠る者、パンやバナナなどでエネルギーを補給する者。夜眠ることなく走り着いたエイド(休憩・補給場所)はさながら野戦病院だ。 すでに90キロ走り、右ひざには激痛があった。残り70キロを走り切り、ゴールでもあるこの会場に戻ってこられる気はしない。2日前、ここに受け付けで訪れた時の高揚感や気概はもうなかった。
1800人が抗原検査
スタート前日の21日午後に出場選手の受け付けがあった。新型コロナウイルス感染対策のため、参加者1800人は時間帯を分けて受け付けし、全員が会場入り前に抗原検査を受ける。感染対策は徹底していた。
UTMFは国内初の100マイルレースとして始まり、他の大会とは別格の規模を誇る。生みの親は群馬県桐生市出身のレジェンドランナー、鏑木毅さん(53)。大会会長でもある。自身も3位入賞の経験がある世界最高峰の大会「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(UTMB)」のようなレースを開きたいと2012年にスタートした。だが、新型コロナで20、21年と2年連続中止に。多くのランナーが開催を待ちわびていた。 とはいえトレーニングなしに160キロは走れない。その時間を捻出するには家庭や仕事の環境、年齢的なタイミングもある。生涯で何度も走れる保証はない。中止の2年間を経て、スタート前の開会式で鏑木さんはいくぶん感情を高ぶらせながら選手に呼びかけた。 「100マイルのウルトラトレイルに挑戦するということがどれほど大変な道か。皆さんは多くの情熱を傾け、多くの時間を費やし、そして多くのことを犠牲にしたのかもしれない。(中止の2年間について)ある選手の方は、親の介護のために年齢的にこれが最後のチャンスだったと断念する方もいた。重い病気が進行し、最後の機会だったという方もいた。だからこそ皆さんは精一杯力を尽くし、人生に刻まれる最高の時間にしてほしい。最高の旅をしましょう!」