「理解に苦しむものはみんな化け物扱い」――闘い続ける“不死鳥”、美輪明宏の人生
「死というものはないんです。ただ肉体がなくなるだけ」。美輪明宏は今年85歳を迎える。昨年9月には脳梗塞を患い、わずか2カ月で仕事に復帰。これまでも病や怪我と向き合いながら、“不死鳥”のように蘇ってきた。不屈の姿勢を、美輪は「私の“責務”」だという。原爆の記憶、ジェンダーを超えた生き方、さまざまな文化のパイオニアとしての軌跡。闘い続けてきた人生を語る。(取材・文:内田正樹/撮影:御堂義乘/Yahoo!ニュース オリジナル RED Chair編集部) (※2020年3月の再配信です)
病やけがから這い上がる“不死鳥”
「化け物です」 「自身を一言で言い表すと?」という問いに、美輪明宏は笑顔でこう答える。かつて三島由紀夫も寺山修司も、「聖なる怪物」と美輪を評していた。 「みなさんそうおっしゃるんですよ。理解に苦しむものはみんな化け物扱いですから」 2019年9月に脳梗塞を患った。しかし幸いにも症状は軽く、わずか2カ月で仕事に復帰した。 「事務所の人たちと話していると言葉がもつれて、『すぐ病院に行きましょう』と連れていかれて。あれ、MRI検査というんですか? ガーンガンガンガンガンとものすごい音がして。ワーグナーでは困るけれど、ショパンのノクターンでも流してくれりゃいいのに。死ぬ思いでしたよ。ちょっとの間、入院して、あとはリハビリをやって。おかげさまで元気になりました」
美輪はこれまでも数々の病やけがと向き合ってきた。10歳で被爆し、長く原爆症に苦しむ。中学生の頃に肺結核を患い、40代前半にはびまん性汎細気管支炎を患った。医師から「余命3カ月かもしれない」と告げられた時期もあった。2009年の舞台公演中には右手の粉砕骨折にも見舞われた。医師から「一生、右手が使えない」と診断されるも、半年ほどで奇跡的に治癒した。 傷つき、倒れては這い上がり、“不死鳥”を宣言してきた。そんな不屈の姿勢を、美輪は「私の“責務”ですから」と、さらりと言ってのける。 「表現する力や才能をいただくということは、『それを世の中のため、人々のために役立てろ』という天からの使命ですから、お務めを果たさなきゃいけない。私のところにはいろんな手紙が来るんです。『ヨイトマケの唄』で仲直りをしたという親子もいれば、『愛の讃歌』を聴いて感動したという人もいてね。どちらもNHK紅白歌合戦で歌ったら大変な反響でした。 皆さんが心に抱える痛みを、癒やし、励ますのが私の役目。私には病人のつらさも分かれば、貧乏のつらさも分かる。一通り経験したから、人の身になって考えられるんです。神様が私の人生の設計図を描いて、『こういう経験も、ああいう経験もしなさい』と誘導されてきたような気がしています」