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世紀の駄作か、新たなマスターピースか―― 賛否両論の問題作「The Last of Us Part II」をそれでも評価したい理由【ネタバレあり】

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ねとらぼ

アビーを操作させることで伝えたかったものと、自傷行為的な構造

 プレイヤーが操作するのは、前作から登場するエリーと、ジョエルを殺した張本人であるアビーの2人。アビーは前作でジョエルが殺した医師の娘であり、ジョエルへの復讐を強く望んでいた。  ジョエルの死をきっかけにアビーとエリーは敵対することになるが、復讐の原動力となる背景はほぼ同じと言っていい。2人とも父性を失い、敵を強く憎んでいて、復讐のためなら手段を選ばない残酷さも持っている。プレイヤーは敵対している両者の目線からプレイすることになるが、これは憎悪の対象をプレイヤーの分身だったエリーやアビーに向けなければならなくなることを意味する。斬新ではあるが、なんとも自傷行為的な構造でもある。  正直に言えば、筆者もアビーを好きにはなれなかった。ジョエルとエリーに愛着を持ったプレイヤーにとって、アビーは急に現れた敵キャラにすぎないのだから、それを急に操作させられたところで感情移入など簡単にはできない。中盤以降長らく続くアビーのパートは、退屈でこそなかったがどこか憎しみをもって操作していた。  だがアビーの残虐行為は、ジョエルとエリーが散々繰り返してきたことでもある(アビーの方が慈悲のある選択をしているようにすら思う)。アビーの視点は、エリーとジョエルを愛するプレイヤーたちに対して「エリーたちがやってきたことはこういうことだ」「エリ―が死んでワクチンを作っていれば、こんなことにはならなかった」という胸糞が悪すぎる現実を示唆してくる。

万人受けを狙わなかったからこそ

 グラフィック・音楽・操作性などが圧倒的に優れていることはもちろんだが、ファンから嫌われる可能性を覚悟して今回のストーリーを採用したこともあえて評価したい。  繰り返しになるが、否定的な意見が目立ちがちな「Part II」だが、今作のストーリーを高く評価する人は非常に多く「『The Last of Us』と匹敵するほどの傑作」との評価も少なくない。だが、これがもし万人受けを狙った無難なストーリーであれば、否定的意見こそ減るだろうが”極端に高い評価”を得ることも難しかったかもしれない。  前作でジョエルとエリ―は希望に向けて行動していたが、今作は余りにも暗く、残酷で、目的を達成しても救いはない。エリ―とアビーは、暴力がまた別の暴力を生むこと理解した上で、平穏な生活を謳歌する権利も捨て去り、自分も傷つくことを理解した上で復讐に向かう。胸糞は悪いし、物語は1本道だからプレイヤーの選択でハッピーエンドにさせてあげることもできない。だが、だからこそ生まれる面白さもあった。  「Part II」において“評価されている点”と“批判されている点”は表裏一体だ。ジョエルの死も、エリーの怒りも、アビーが突きつける胸糞悪い現実も全てつらい。エリ―にもアビーにもお互いを憎む心があるが、同時に慈悲もある。2人は相手の仲間の命を奪い、また奪われ、復讐を誓いながら、さらなる復讐を恐れている。  2人の行動は矛盾しているようにも見えるし、この物語に根っからの善人など1人もいない。こういった暗いストーリーは「Part II」が批判される要因になっているが、同時にその暗さこそが多くの人の感情を揺さぶり、「Part II」を絶賛する原動力になったのだ。だからこそ、この物語は賛否両論となることから逃れられなかったのだろう。  Naughty Dogは、偉大なる1作目に続編を作るというチャレンジをして、結果的に賛否を呼んだ。筆者は本作に対して“賛”の立場だが、もし「Part III」を作るのなら、「Part II」を上回るような挑戦をしてほしいという気持ちもあるし、エリ―の物語はここで終わってほしいという気持ちもある。

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